利光鑑教
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利光 鑑教(としみつ あきのり、? - 天正14年(1586年)12月)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友家の一族で家臣。豊後大分郡戸次郷利光鶴賀城主。子に統久・平助。法号は宗魚(そうぎょ)。越前入道。官途は武蔵守[1]。
生涯[編集]
大友義鑑・宗麟・義統に仕え、天正9年(1581年)3月に義統の命令で日向宮崎で島津忠長や新納忠元と対峙する志賀道易を救援する[1]。天正13年(1585年)に宗麟の勧めを受けてキリシタンの洗礼を受けた[1]。
天正14年(1586年)に鑑教は肥前に出陣していたが、留守の間に島津軍の攻撃を受けたため帰国し、鶴賀城で島津の大軍相手に激しく抵抗したが、12月に戦死して城は落ちた[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『戦国人名事典コンパクト版』 阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月 ISBN 4-404-01752-9