円満院 (足利政知側室)
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円満院 えんまんいん | |||||||||||||||
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円満院(えんまんいん)は、室町時代後期から戦国時代にかけての女性。室町幕府の第11代将軍・足利義澄の生母。
生涯[編集]
初代堀越公方の足利政知の側室とされ、文明12年(1480年)12月15日に義澄、そして年次不明だが潤童子を産んでいる。姉妹に九条政基に嫁いで細川澄之の生母となった女性がいる[1]。
政知には長男に茶々丸がいたが、この茶々丸は政知により廃嫡された。次男の義澄は出家して京都に赴いたので、潤童子が堀越公方の次期後継者に指名された。なお一説に、茶々丸の廃嫡は円満院の讒言が原因とする説もある。延徳3年(1491年)に政知が死去すると、潤童子が後継するはずだったが、茶々丸が幽閉先から脱出して潤童子、そして円満院を殺害して後継者としての地位を奪い取ったという[2][3]。