円満院 (足利政知側室)

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円満院
えんまんいん
性別
時代 室町時代後期から戦国時代
生年月日 不詳
死没日 延徳3年7月1日1491年8月6日
子供 義澄潤童子
父:武者小路隆光
家族構成 円満院、妹(九条政基室)

円満院(えんまんいん)は、室町時代後期から戦国時代にかけての女性室町幕府の第11代将軍足利義澄の生母。

生涯[編集]

初代堀越公方足利政知側室とされ、文明12年(1480年)12月15日に義澄、そして年次不明だが潤童子を産んでいる。姉妹に九条政基に嫁いで細川澄之の生母となった女性がいる[1]

政知には長男に茶々丸がいたが、この茶々丸は政知により廃嫡された。次男の義澄は出家して京都に赴いたので、潤童子が堀越公方の次期後継者に指名された。なお一説に、茶々丸の廃嫡は円満院の讒言が原因とする説もある。延徳3年(1491年)に政知が死去すると、潤童子が後継するはずだったが、茶々丸が幽閉先から脱出して潤童子、そして円満院を殺害して後継者としての地位を奪い取ったという[2][3]

脚注[編集]

  1. 戎光祥出版「足利将軍事典」P50
  2. 戎光祥出版「足利将軍事典」P248
  3. 戎光祥出版「足利将軍事典」P249

参考文献[編集]