「第2回エンペディア大賞」が2月いっぱい開催中です。2024年に作成された記事の中から、お気に入りの記事に投票しましょう!
足利潤童子
ナビゲーションに移動
検索に移動
足利 潤童子 あしかが じゅんどうじ | |
---|---|
性別 | 男 |
時代 | 室町時代後期から戦国時代 |
生年月日 | 不詳 |
没年月日 | 延徳3年7月1日(1491年8月6日) |
親 | 父:足利政知、母:円満院(武者小路隆光の娘) |
家族構成 | 茶々丸、義澄、潤童子、小田政治? |
テンプレートを表示 |
足利 潤童子(あしかが じゅんどうじ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての人物。室町幕府の第11代将軍・足利義澄の同母弟である。
生涯[編集]
初代堀越公方の足利政知の子で、長男の茶々丸が本来は堀越公方を継承する予定だったが廃嫡となり、次兄の義澄は出家して京都に赴いたため、潤童子が政知から後継者に指名された。
しかし延徳3年(1491年)、父が死去すると跡を継ぐ予定だったが、幽閉されていた茶々丸が脱出して潤童子とその母を殺害したことにより、第2代堀越公方には茶々丸が就任することになった[1][2]。