足利潤童子
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足利 潤童子 あしかが じゅんどうじ | |||||||||||||
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足利 潤童子(あしかが じゅんどうじ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての人物。室町幕府の第11代将軍・足利義澄の同母弟である。
生涯[編集]
初代堀越公方の足利政知の子で、長男の茶々丸が本来は堀越公方を継承する予定だったが廃嫡となり、次兄の義澄は出家して京都に赴いたため、潤童子が政知から後継者に指名された。
しかし延徳3年(1491年)、父が死去すると跡を継ぐ予定だったが、幽閉されていた茶々丸が脱出して潤童子とその母を殺害したことにより、第2代堀越公方には茶々丸が就任することになった[1][2]。