伊藤梅子

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伊藤 梅子(いとう うめこ、嘉永元年11月8日1848年12月3日) - 大正13年(1924年4月12日)は、伊藤博文の2番目の妻で女流歌人。日本初のファーストレディである。

生涯[編集]

嘉永元年(1848年)、仲仕(港湾労働者)の木田久兵衛の長女として長門国(現山口県)で誕生。赤間関(下関)稲荷町の置屋「いろは楼」の養女となり、芸妓となって「小梅」を名乗る。元治元年(1864年)に伊藤の命を狙った長府藩士から伊藤を救い出して匿ったのが縁で、伊藤から愛される立場となる。

伊藤は渡英中に父の伊藤十蔵によって入江九一野村靖の妹である入江すみと結婚していたが、伊藤は母の伊藤琴子の反対を押し切って離婚し、慶応2年(1866年)に梅子と結婚した。この時に梅子は妊娠していたという。伊藤との間には1男2女に恵まれたが、唯一の男子は明治7年(1874年7月に早世している。また、伊藤とは仲が良かったと言われているが、梅子は病弱で自邸では別々に過ごしていたといわれている。

伊藤が内閣総理大臣に就任すると、梅子は首相夫人となった。伊藤との間に成長した男子ができなかったため、井上馨の甥の伊藤博邦を早くから養子として引き取って養育している。

伊藤が暗殺された後、15年ほど生きて75歳で没した。