仁正寺藩
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仁正寺藩(にしょうじはん)は、江戸時代前期から明治時代初期まで近江国に存在した藩である。別名を西大路藩(にしおおじはん)と言う。藩庁は仁正寺陣屋。藩主家は外様大名の市橋氏。現在の滋賀県蒲生郡日野町西大路に存在した。
概要[編集]
元和6年(1620年)、市橋長政は近江国蒲生郡・野洲郡、および河内国の1郡において2万石を与えられ、西大路に藩庁を構えて仁正寺藩を立藩した。元和8年(1622年)、長政は一族の市橋長吉に対して近江国内の所領から2000石を分与したため、仁正寺藩は1万8000石となった。長政は幕政にも参与して活躍した。
慶安元年(1648年)に長政が死去すると、家督は長男の政信が継承したが、この際に弟の市橋政直に1000石を分与したため、仁正寺藩は1万7000石となった。
寛政8年(1796年)、第7代藩主・長昭は藩校・日新館を創設して文教の振興に尽力した。文久2年(1862年)、藩名が音通の問題から西大路と改称された。
明治4年(1871年)の廃藩置県により、仁正寺藩は消滅した。
歴代藩主[編集]
- 市橋家
外様、2万石→1万8000石→1万7000石