五藤為重
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五藤 為重 ごとう ためしげ | |
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改名 | 吉蔵、市左衛門、内蔵助 |
名の由来 | |
性別 | 男性 |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
生年月日 | 永禄元年(1558年) |
没年月日 | 寛永6年8月25日(1628年10月11日) |
国籍 |
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職業 | 土佐藩・家臣 |
武器 | |
口癖 | |
名ゼリフ | |
家族構成 | 父:五藤浄基。兄:五藤為浄 |
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五藤 為重(ごとう ためしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で土佐藩士。土佐山内家の家臣。
生涯[編集]
五藤浄基の次男で、早くから山内一豊に仕えた。一豊と多くの戦場を共にし、一豊が遠江掛川城主の時代に560石の知行を与えられ、代官に任命された。一豊が土佐藩主になると知行は倍の1100石に加増され、安芸城を預けられて代官として4000石をさらに預けられた。一豊の死後はその跡を継いだ忠義に仕え、晩年には1万石以上を任される代官として重用されたという[1]。
寛永6年(1629年)8月25日に死去した。享年72[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 小和田「山内一豊のすべて」P222