中江吉次

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
中江 吉次
なかえ よしつぐ
性別
年齢 52
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生年月日 天正2年(1574年
生誕地 近江小川村(現在の滋賀県高島市)
死没日 寛永2年(1625年
死没地 近江小川村(現在の滋賀県高島市
死因 病死
肩書き 武士農民
国籍 日本国旗.png日本
子供 中江藤樹、娘
父:中江吉長:不詳

中江 吉次(なかえ よしつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士農民中江藤樹の父[1]

略歴[編集]

父は中江吉長。生来から病弱だったため、武士として活動することはできず、故郷の近江小川村(現在の滋賀県高島市)で農業を営んだ。慶長13年(1608年)3月に息子の藤樹が生まれている[1]

病弱だったため、息子の養育は存命だった父・吉長が行い、主君の加藤貞泰伯耆米子藩伊予大洲藩などに移封された際にも、吉長と藤樹は同行したが、吉次はそのまま妻と共に故郷に留まったという[1][2]

元和8年(1622年)に父が死去した際、家督は藤樹が継承している。その3年後に後を追うように吉次は故郷の小川村で死去した。享年52[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 寺子屋モデル「日本の偉人 100人(下)」P130
  2. a b 寺子屋モデル「日本の偉人 100人(下)」P131

参考文献[編集]