中江吉次
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中江 吉次 なかえ よしつぐ | |||||||||||||||||||||||||
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中江 吉次(なかえ よしつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士・農民。中江藤樹の父[1]。
略歴[編集]
父は中江吉長。生来から病弱だったため、武士として活動することはできず、故郷の近江小川村(現在の滋賀県高島市)で農業を営んだ。慶長13年(1608年)3月に息子の藤樹が生まれている[1]。
病弱だったため、息子の養育は存命だった父・吉長が行い、主君の加藤貞泰が伯耆米子藩や伊予大洲藩などに移封された際にも、吉長と藤樹は同行したが、吉次はそのまま妻と共に故郷に留まったという[1][2]。
元和8年(1622年)に父が死去した際、家督は藤樹が継承している。その3年後に後を追うように吉次は故郷の小川村で死去した。享年52[2]。