中根氏
ナビゲーションに移動
検索に移動
概要[編集]
桓武平氏の大掾氏の支流とされ、中根正照の時に歴史の表舞台に登場。戦国時代の元亀3年(1572年)10月、武田信玄が西上作戦を開始した際、正照は徳川家康に属して遠江国二俣城で徹底抗戦する(二俣城の戦い)。2か月にわたり抗戦して信玄を苦しめたが、家康や織田信長からの後詰を得られず、信玄に降伏・開城してその後の三方ヶ原の戦いで戦死していることで知られている。中根氏は江戸時代に家康の次男・結城秀康の福井藩に仕え、幕末には子孫として中根雪江を輩出している。また、同族だが別の系統は江戸幕府の旗本となっている[1]。
現在は愛知県に多く見られる姓であり、特に岡崎市や西尾市ではベスト10に入っている[1]。