三宮 左兵衛(さんのみや さへえ、永禄7年(1565年) - 天正14年12月12日(1587年1月20日))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣[1]。
はじめ左兵衛、のち平衛門。土佐国高岡郡日下葛掛城主で、1800石の知行を領した。長宗我部元親に仕えて、天正10年(1582年)の阿波国勝瑞城攻め、天正12年(1584年)の伊予国深田城攻めに参加して戦功を立てた[1]。
天正14年(1586年)12月12日、長宗我部信親に従って九州に出陣し、戸次川の戦いで戦死した[1]。享年22。