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ピカソ利光

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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ピカソ利光
本名 横ヰ 利光
ニックネーム とっくん、ピカちゃん
生年月日 1984年12月21日(40歳)
出身地 日本国旗.png日本静岡県沼津市
血液型 A型
身長 171 cm
言語 日本語
最終学歴 慶應義塾大学中退
出身 NSC東京校7期
コンビ名 ピカソ(解散)
グループ名 猿楽町スポーツ専門店
相方 ピカソハマシマ
(濵島英治郎、現・新道竜巳(馬鹿よ貴方は))
芸風 部室芸
立ち位置 上手
事務所 吉本興業
451
活動時期 2001年 -
同期 もう中学生
ですよ。
ラバーガール
他の活動 演出家放送作家
公式サイト 公式サイト

ピカソ利光(ピカソとしみつ、本名:横ヰ 利光〈よこい としみつ〉、1984年12月21日 - )は、作家劇作家構成作家放送作家映像作家)、 演出家舞台監督テレビディレクタークリエイティブディレクターラジオパーソナリティ牧師

静岡県浜松市生まれ、静岡県沼津市出身。慶應義塾大学経済学部中退。元メンサ会員。遠縁には演出家の蜷川幸雄

制作会社ヒゲピカ元副代表。株式会社451代表取締役。451グループ。451聖書を読む会主催。

来歴[編集]

静岡県浜松市で誕生。その後、神奈川県横浜市に単身移住[1]。4歳から15歳まで静岡県沼津市に移住し在住する[1]。中学生の頃は不登校状態で素行が悪く教護院等で過ごす[1]。その後、一念発起し埼玉県自由の森学園へ進学する[1]。高校の4年先輩に俳優の星野源、3年先輩に在日ファンク浜野謙太がいる。

2001年、バイトをして貯めたお金で高校2年生の時に東京吉本総合芸能学院(東京NSC)に入学し、第7期生となる。同年、濵島英治郎(ピカソハマシマ、現・新道竜巳〈馬鹿よ貴方は〉)と「ピカソ」を結成する[1]。この時、東京NSCを中心に通っていたため、高校を留年[1]

2002年ルミネtheよしもとでデビュー[1][2]。当時17歳6ヶ月で「ルミネtheよしもと」最年少舞台記録を持っていた。

コンビ時代のネタは暴力的で破壊的でシュルレアリスムが多く、トークでは先輩に対して無礼な振る舞いをしたりする部室芸のような芸風であり、ネタをすると舞台袖に芸人が集まる事で有名で圧倒的に若年男性ファンが多いコンビだった[2]

2002年末で「ピカソ」でのコンビ活動を無期限停止し[1]、コンビ名を残し「ピカソ利光」名義でピン芸人活動開始。

なお、メンサ会員になったのもこの時期で、IQWAISで147だった。会員費がかかるのを本人が知らなかったため、現在は会員ではない。

行動に問題があり、2002年にはテレビ収録の際にアイドルを足蹴にして事務所より謹慎処分を受け、2003年には平和島競艇場にて選手インタビューイベントの進行中に野次を飛ばした客に唾を吐き謹慎処分を受けるなどしている[1]

2004年より芸人と並行して「芸事で食うため」の手段として放送作家活動も開始。

メロンソーダホリプロコム所属)現・春風亭昇也ユミミ(当時ワタナベエンターテインメント所属)との3組でのお笑いユニット「猿楽町スポーツ専門店」のメンバーとして活動し、ユニットでの全作品のコントで作・演出も担当[3]。前説はマヂカルラブリー結成前の野田クリスタル

芸人作家時代より紆余曲折あり、2015年頃より舞台に戻り、麻布十番のショーパブの舞台監督舞台演出家をやりながら[4]ニコニコ生放送公式番組『私立キュン×2学園』で番組ディレクターを始めるようになる[5][注 1]。番組MCはウエストランド

上記のように舞台演出家デビューやテレビ演出家デビューにはM-1グランプリ王者が関わっている。

2015年に慶應義塾大学経済学部に入学したが[7]、本人曰く「入学までが目的」だったためか、1年で退学している。

2013年末時点では結婚しており、1児の父だったが[8][9]、2020年に別居をラジオで報告し、その後離婚している。

ラジオ[編集]

2019年4月より2021年4月2日まで出身でもある沼津市にあるCOAST-FM(エフエムぬまづ)で毎週金曜日20時『ピカソキャンディ』という番組でパーソナリティをしていた。番組終了。

2021年4月9日より自身初の冠番組『横ヰピカソ利光の「FRONT MAN SHOW」』が前身番組の同枠で放送開始する。番組アシスタントに女優・西川美咲を抜擢。番組の内の発言から「番組の聞く価値を上げるためプライベートや自分自身の考えなどはラジオのみで公表する」として、全ての「SNS経ち」を宣言。実際にTwitterInstagramも鍵付きになった。

ブログ[編集]

文を書くときの共通のテーマが「憂鬱」「不安」「苛立ち」であり、生きていく上での怖さや弱さを全面に出しながら文章を作るのが上手く、人との関わりを強がらずにナチュラルに書く文章が多い。文章では一人称がないのが特徴で「俺」「僕」「私」等一人称が文節ごとに違う事がよくあり、この文にはこの一人称と感覚と響きだけで決めているように受け取られる。ブログ中にたまに見せる「痛さ」が最大の魅力であり、本人も「叙情的な文章は訪問者が伸びる」とわざと狙って書いている。

2005年7月から始めたライブドアブログ[10]は1日の訪問者の数が6500人以上あり(2006年11月現在)、公人やアイドルなどのブログランキングを良く抜き上位に食い込むことがある。全く知名度の無い人間でのランキング上位は極めて異例。訪問者が多いことに本人は「気持ちが悪い」とブログでぼやいているがあまり気にしている様子ではない。

多方面に不満や攻撃的な文章を書く事があり、当時は炎上商法という言葉すらなかった時代に訪問者を逆に意識した出鱈目な文章で自分自身の宣伝活動にそれをうまく使って結果的に注目を集め業界にアピールするという知能犯的な手法を使っている。また縁戚である蜷川幸雄事務所にはそれが通じなかったようで本文を削除した後、謝罪文を載せている。その後は蜷川幸雄関連の仕事を全て降ろされている[11]

2006年12月21日、22歳の誕生日と1000回目の更新を以って閉鎖。

2007年1月1日、新たに立ち上げたライブドアブログ[12]を経て、2008年1月よりライブドアブログからアメブロ[13]に移り更新を行っている。訪問者数は2008年3月24日のブログ[14]1日25000人達成 、2008年7月7日のブログ[15]1日30000人達成、2008年8月7日のブログ[16]で訪問者数が1日50000人達成、2008年9月19日のブログ[17]では訪問者数が1日80000人を達成したことを画像付きで載せている。この時期の少し後のブログは訪問者が月500万人を超えていた。

「アフィリエイトや広告はやらない」「訪問者を意識して書いているわけでは無い」「各個人の日々で数を競う意味がわからない」などの理由でアメブロランキングには参加しておらず、あくまで個人のスタンスでブログを更新している。

2010年11月25日を最後に更新停止。辞めた理由について休止から10年経った2020年に自身のラジオ内で「大台に乗ったから」と理由を説明。前後の発言から訪問者が月1000万人を超えた時点で辞める事にしていた。[11]

2015年7月、新たにアメブロ[18]を立ち上げ、Instagramの写真を不定期投稿でしているが2020年の8月以降更新されていない。

出演[編集]

現在のレギュラー

過去のレギュラー

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. 正確には、その前にやっていた番組、元乃木坂46の『畠中清羅 レイヤー☆チャレンジャー』からが演出家として初めての番組になる[6]

出典[編集]

外部リンク[編集]