トク・テムル
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トク・テムル(Toq-Temür、漢字:図帖睦爾、1304年2月16日 - 1332年9月2日)は、モンゴル帝国の第12代カアン。元としては第8代皇帝(在位:天暦元年9月13日 - 天暦2年3月4日(1328年10月16日 - 1329年4月3日)、天暦2年8月15日 - 至順3年8月12日(1329年9月8日 - 1332年9月2日))。廟号は文宗(ぶんそう)。
生涯[編集]
父は第3代皇帝・カイシャンで次男。1311年に父が死去した際にはわずか8歳の幼少のため、皇位は叔父のアユルバルワダが継承することになった。しかし成長し、1328年に第7代皇帝のアリギバが軍閥のエル・テムルによるクーデターによってわずか在位2か月で廃位されたため、その後継者として擁立されて即位した。
ところが、長兄のコシラが弟の即位に不満を抱き、チャガタイ・ハン国と結託して自らの即位を宣言した。これにより元には一時的に2人の皇帝が並び立つ事態となったが、トク・テムルは自らの皇位を兄に譲位して皇太子に降りることを受け入れ、分裂は短期間で終焉した。
ところが1329年、皇帝となっていたコシラはわずか4か月で謎の死を遂げた。一説にトク・テムルかエル・テムルによる暗殺とも言われるが、これによりトク・テムルは再度復位している。復位後は国家財政の再建に着手し、大幅な宮廷費の削減に尽力。一方で元朝の故事をまとめた「経世大典」を編纂するなど、文化事業にも熱心に務めた。しかし、実際の権限は軍閥のエル・テムルに掌握されて思うままに政治を進められなかったという。
1332年に29歳で崩御する。崩御の前に兄・コシラの次男・イリンジバルを後継者にするように遺命したとされ、それに基づいて甥のイリンジバルがエル・テムルに擁されて跡を継いだ。