イリンジバル

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リンチンバル(Rinčinbal、泰定3年3月29日1326年5月1日) - 至順3年11月26日1332年12月14日))は、モンゴル帝国の第14代カアンとしては第10代皇帝(在位:至順3年10月4日 - 11月26日1332年10月23日 - 12月14日)。読みはリンチェンパル(rin chen dpal)、イリンジバル(Irinjibar)。廟号は寧宗(ねいそう)。

生涯[編集]

父は第9代皇帝・コシラで次男。1329年に父のコシラが崩御した際にはまだ4歳の子供であり、後継者には叔父のトゥク・テムルが復位の形で即位した。しかしこの叔父も、1332年に崩御した。

叔父のトゥク・テムルは崩御する直前、兄の子を後継者として遺命した。この時、わずか7歳であったが、トゥク・テムルを擁立して実権を掌握していた軍閥エル・テムルはこの遺命に従って幼児を即位させた。ただ、トゥク・テムルはあくまで「兄の子」とだけ遺命していたとされ、この場合は年齢的にはリンチンバルの長兄であるトゴン・テムル(13歳)のほうがまだ相応しかったが、エル・テムルは13歳より7歳の幼児を擁立することで、自らの傀儡として御することを望んだという。

こうして即位したイリンジバルは、即位からわずか43日で死去した。当然、子供は無く、長兄のトゴン・テムルが新皇帝として迎えられた。

后妃[編集]