スリーマイル原発事故

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スリーマイル原発事故(スリーマイルげんぱつじこ)とは、1979年3月28日に発生した原子力発電所事故である。ウィキペディアではスリーマイル島原子力発電所事故として記事が存在する。

概要[編集]

スリーマイルはアメリカ東部ペンシルベニア州サスケハナ川の中洲に存在する。ここで1979年3月28日午前4時頃、2号機のタービンを動かす蒸気を作るための給水系統のトラブルで原子炉が緊急停止し、この時に開いた炉心冷却水の圧力調整用の弁が自動で閉じなかったことに運転員が気付かず、冷却水が施設内へ流れ出し水位が下がり続けた。冷却機能を運転員が止めるミスもあり、数時間後に回復するまで炉心の3分の2が露出し、過熱して45パーセントが溶融(メルトダウン)し、周辺住民およそ14万人以上が避難した。ただ、放射性物質の漏れについては当時の情報能力などもあって情報が混乱し、州知事が子供と妊婦の避難を勧告すると、多くの住民も避難することになったという。実際の放出量に関しては最悪を免れており、事故の深刻度を示す国際評価尺度(INES)は1986年チェルノブイリ原発事故2011年福島第1原発事故のレベル7を下回るレベル5と評価されている。

アメリカ原子力規制委員会NRC)など様々な組織が原因を調査し、機器の故障やその複雑で誤解しやすい計器類、運転員のミスによる複合要因と結論付けている。設備の安全対策の強化や運転員の教育訓練、緊急対応計画の改革に繋がることになる。溶融核燃料(デブリ)の取り出しと搬出が完了したのは1990年であり、事故により発生した汚染水の処分は1993年に終了し、以後は外観を止めたまま監視が続いている。

スリーマイルで取り出したデブリは1990年までで約130トンに上り、大半は3000キロ以上離れたアイダホ国立研究所鉄道輸送された。当初は水を張ったプールで保管し、現在は専用容器に入れ替えて空冷の乾式貯蔵で地上に保管している。ただし1トンほどのデブリは取りきれず、原子炉内に残されている。事故を起こした2号機に隣接する1号機は現在も稼働中で、解体と残りのデブリ取り出しは1号機の運転終了後に同時に行なわれるという。

汚染水を浄化した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水に関してはTMIは当初、付近の川へ放出する予定だったが、下流地域の住民が大反発したために出来ず、1991年から1993年に約9000トンを蒸発させて大気中に放出処分した。

影響[編集]

この事故でアメリカでは以後、原発の新規着工は敬遠され、火力発電太陽光、風力などの再生可能エネルギーによる発電が安価で、競争力を失った原発は廃炉が続くことになった。1990年代にアメリカには110基余りの原発が存在したが、それが2019年現在では98基にまで減少している。事故により4基の原発の新設計画もあったが、これも2基まで頓挫した。スリーマイル原発に関しては2号機に隣接する1号機は2034年までの運転が認められていたが、事業者のアメリカ電力大手エクセロン2017年になって前倒しで2019年9月末で閉鎖すると発表し、2号機の解体も1号機と並行して進められることになっている。地元では現在でも事故の影響があるとされ、健康不安などを語り合う交流サイトには参加者が4000人近くを数え、近年では白血病などので死去する人も増えているという。

ただ、1号機の運転を引き伸ばす可能性も出てきているという。地球温暖化対策として二酸化炭素を出さない原発を再生可能エネルギーと同様に優遇することを州議会が検討しており、もし実現すれば1号機は補助金により延命され、2号機の解体にも影響が出る可能性がある。連邦議会では原子力の新技術開発について党派を超えた支持もあり、推進する法律が成立している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]