サンフレッチェ広島-2015
サンフレッチェ広島-2015
概要[編集]
2015年2月に小谷野薫が広島市長選挙出馬の為、社長の座を退いた。後任は前強化部長の織田秀和。髙萩洋次郎が海外挑戦のため退団し、石原直樹は浦和に移籍、シャドーのレギュラー2選手を同時に失った。その後釜に徳島からドウグラス、2009年オフにもオファーを出していた京都の工藤浩平を獲得。このうち工藤はリーグ戦僅か6分の出場に留まり、6月に松本山雅FCに移籍。ドウグラスとボランチからコンバートさせた柴﨑晃誠が穴を埋めて余りある活躍を見せることになる。1stステージは浦和に独走を許したが、勝ちなしは最大でも3試合と崩れず16節までは2位をキープしていた。しかし、最終節で鳥栖と引き分けたために清水に勝利した東京に抜かれ1stステージは3位で終えた。
2ndステージに入ると第1節、第2節をそれぞれ4得点、6得点と攻撃陣が爆発し2連勝で迎えた第3節では、1stステージチャンピオンでここまでリーグ戦無敗を誇っていた上に、直接対決ではリーグ戦、カップ戦合わせ3分6敗と2012年の開幕戦以降9戦勝利できていない天敵である浦和とアウェーで対戦。先制を許すものの後半の2得点で逆転勝利となり、浦和を抜いてこのシーズン初めて年間勝点首位に浮上。その後は浦和とのマッチレースの様相を呈したが、森保一就任からの武器だった持ち前の守備力に攻撃力が加わり、1stステージ同様に大崩れすることなく、最終節の湘南に勝利し2ndステージ優勝と年間勝点1位が確定。年間の勝ち点74は現行の制度下での最高記録となった。佐藤寿人が2ndステージ最終節でJ1通算157ゴール目を記録し中山雅史と並びJ1通算最多得点保持者となったのを筆頭に、ドウグラスは得点ランキング2位の21ゴール(チームのJ1におけるシーズン最多得点記録)、浅野拓磨は先発出場の機会こそ無かったがリーグ戦初を含む8ゴールを決めスーパーサブに定着、ベストヤングプレーヤー賞を受賞した。Jリーグチャンピオンシップは年間勝点1位のため準決勝をシードされ、勝ち上がった年間3位のG大阪と対戦。敵地で行われた第1戦は後半アディショナルタイムにこの年甲府から加入した佐々木翔のゴールで追いつき、ラストプレーで柏好文の勝ち越しゴールが生まれ、3-2で劇的な逆転勝ちを収めた。満員のホームで迎えた第2戦は先制されながら浅野の同点ゴールで1-1、2戦合計4-3で年間優勝を勝ち取った。これで森保監督は4年間で3度のリーグ優勝を果たした。Jリーグアウォーズでは青山敏弘がMVPに輝き、ベストイレブンには青山に塩谷、ドウグラスを加えた3人が選出された。森保も3度目の最優秀監督賞を受賞。また、優秀選手賞を7人が受賞している。青山は1stステージ最終節鳥栖戦のゴールで年間最優秀ゴールも受賞。チームとしても4年連続でフェアプレー賞高円宮杯を受賞し優勝に花を添えた。
開催国王者枠として3年ぶりに出場したFIFAクラブワールドカップ2015では、オークランド・シティFC、TPマゼンベを破り、準決勝で南米王者であるリーベル・プレートに善戦したものの0-1で敗退。日中決戦と言われるアジア王者で中国スーパーリーグ王者でもある広州恒大との3位決定戦にドウグラスの2ゴールで逆転勝ち。2007年の浦和、2008年のG大阪に次ぐ、日本のクラブ史上3チーム目の3位入賞を果たした。
カップ戦では、サブメンバー主体で臨んだナビスコカップにおいては、1勝3分1敗で他力ながら予選リーグ突破の可能性を残し最終節の甲府に勝利したが、結果3位となり3年連続のトーナメント進出とはならなかった。
天皇杯では、2回戦から登場し広島経済大学を8-0と一蹴。3回戦、4回戦ではJ2の熊本、徳島にそれぞれ1点差ながら勝利し、準優勝した2013年以来2大会ぶりにベスト8に駒を進めた。Jリーグチャンピオンシップファイナル第1戦からCWCの4試合を含め25日間で7試合目と過密日程の中、リーグ戦との2冠を目指し、長崎にて行われた準々決勝でFC東京との延長にまで及ぶ戦いを制しベスト4入りを果たした。しかし、3日後の準決勝ではチャンピオンシップのファイナルで撃破したとはいえ、前年も天皇杯のベスト16で敗れたG大阪と対戦し、リーグ戦やチャンピオンシップでゴールを挙げたドウグラスが不在だった事もあってか、またも敗れ決勝進出はならず2015年シーズンを終えた。
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