イースター島

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イースター島(イースターとう、Easter)とは、南太平洋ポリネシア南東端のチリ領の孤島である。

概要[編集]

面積は165平方キロ。人口1999年の時点で3万8000人。ポリネシア名ではラパヌイRapanui)、スペイン名ではパスクアPascua)という。モアイ像で有名なである。

歴史[編集]

  • 800年から900年にかけて巨大な石を削ってモアイ像が造られ始めた。
  • その後、モアイ像建設のために大量の木々が伐採されたのと共にわずか数十年の間に人口が1万人規模にまで膨れ上がったことで豊かな土壌は流出して農業の生産が落ち、食料不足から部族間で戦争となり、敵のモアイを倒すようになった。
  • 1772年4月5日オランダ海軍司令官のヤコプ・ロッヘフェーンがイースター島を発見した。イースター島の名乗りはヤコプがこの島を復活祭(イースター)に発見したことからとされている。なお、ポリネシア名のラパヌイは「大きな島」を意味する。先住民とヨーロッパ人が接触したこの頃には自然破壊と部族間抗争によって島の文明は崩壊していたとされる。

この島の中心地は南西部のハンガロアで、行政上では本土のバルパライソ州に属している。この島には20近い火口がある火山島であり、全島が草原で覆われている。木々が伐採された傷跡が癒えていない現れである。1888年にはチリ領に編入され、1935年に国立公園に指定されている。1995年には世界文化遺産に登録された。アフと呼ばれる積石塚とモアイ(巨大な石像)、木片に刻まれたロンゴロンゴ(象形文字)など、考古学上重要な遺跡で有名であるが、建造方法や使用目的では不明な点が多い。1955年から1956年にかけてノルウェーの人類学者・トール・ヘイエルダールが学術調査を行ない、イースター島人の南米渡来説を探検記である「アク・アク」の中で発表した。1960年チリ地震とそれによる津波でモアイ像の大半が倒壊したが、1995年6月にモアイ修復日本委員会によってアフ・トンガリキ遺跡のモアイ15体の修復工事を行なった。

なおイースター島に森林が存在しないのは人口爆発と島民がモアイ像作りや日々の生活などで無計画に木を伐採して自然を破壊したからだというのが古くからの通説で、学校の教科書や副教材、環境問題を取り扱った書籍でもこのが紹介されて警鐘を鳴らしている。しかし人口爆発の証拠は見つかっておらず、森林の消滅はネズミ(ラット)が種子を食べてしまう食害によって引き起こされ、最終的に文明崩壊の引き金を引いたのは自然破壊ではなく、ヨーロッパ人の持ち込んだ疾病と奴隷狩りという異説もある。

気候[編集]

熱帯雨林気候。冬(7,8月)は沖縄の冬並みに温暖である一方、夏(1,2月)は仙台の夏並みに涼しい。

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