イェスン・テムル
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イェスン・テムル(Yesün-Temür、漢字:也孫鉄木児、1293年11月28日 - 1328年8月15日)は、元の第6代皇帝(大ハーン)。モンゴル帝国の第10代皇帝(在位:1323年10月4日 - 1328年8月15日)。
生涯[編集]
父はカマラで、初代皇帝・フビライの孫である。カマラの父のチンキムはフビライの皇太子であったが、1285年に父に先立って早世。カマラは1294年にフビライが崩御した際、後継をめぐって弟のテムルと皇位をめぐって争い敗れた。カマラは1302年に死去したため、その爵位は子のイェスン・テムルが継承していた。このため、イェスン・テムルはフビライの曾孫に当たることになる。
カマラの血統は皇位継承から長く除外されており、イェスン・テムルはモンゴル高原北部を領する晋王として赴任していた。1323年に第5代皇帝のシデバラが南坡の変によって外戚のフンギラト氏のテムデル派によって暗殺されたため、それに擁立される形で第6代皇帝に即位した。しかしイェスン・テムルは、傀儡になることを嫌って即座に軍隊を動かして首都・大都を掌握すると、朝廷を牛耳っていたフンギラト氏を一気に粛清した。
こうして実権を掌握したイェスン・テムルであったが、その治世は先帝のような強力な改革などをせず、極めて平凡なものだった。もともと北方に長くいたので中国文化よりモンゴル文化に慣れ親しんでおり、そのため遊牧の生活様式を維持するモンゴルの風習をそのまま維持した。唯一の政策として、全ての宗教を寛容かつ公平に扱い、晋王時代の臣下を大臣にして優遇していることが挙げられる。
1328年に36歳で崩御し、長男のアリギバが皇位を継承するが、すぐに天暦の内乱と称されるクーデターが発生し、アリギバは廃帝となってしまった。
家族[編集]
父母[編集]
后妃[編集]
- 皇后:バブカン(八不罕) - コンギラト部出身。オルチャル(斡留察児)の娘。天順帝アリギバの母。
- 妃:ピカン(必罕) - コンギラト部出身。マイジュカン(買住罕)の娘。
- 妃:スガダリ(速哥答里) - コンギラト部出身。マイジュカン(買住罕)の娘。