テムル

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テムル漢字鉄穆耳1265年10月15日 - 1307年2月10日)は、の第2代皇帝で、モンゴル帝国の第6代皇帝。テムルはモンゴル語で「鉄」を意味する名前で、ペルシア語などではこれを訛ってティムールと表記する(在位:1294年 - 1307年)。廟号は成宗(せいそう)。

生涯[編集]

元の初代皇帝・フビライの次男であったチンキムの3男。父のチンキムはフビライの皇太子であったが、1285年に43歳で早世したため、テムルがフビライの後継者に指名されて皇太孫となる。テムルは祖父・フビライに従い、中央アジアで反抗するオゴデイ・ハン国カイドゥやその同調勢力との戦いで活躍し、経験を積んだ。

1294年に祖父のフビライが崩御すると、重臣であったバヤンの強力な支持を受けて即位する。テムルの時代はフビライの時代に発生していた反乱の処理が主であり、1300年にはカイドゥが中央アジアの全勢力を率いて侵攻して来るが、テムルはこれをカラコルムタミール間の戦いで大いに破り、カイドゥは1301年にこの時の戦傷がもとで陣没。カイドゥの遺児・チャパルやカイドゥ没後に政権を掌握したチャガタイ・ハン国ドゥアは相次いでテムルに臣従を誓い、フビライ以来大問題となっていた東西の和睦が達成された。

テムルはフビライ同様、日本にも臣従を呼び掛けているが、フビライほど強硬な態度には出ていない。また、フビライ同様に中国文化を導入した王朝作りを行なっている。

テムルには男子はいたが自身より先に早世しており、後継者には恵まれなかった。このため1307年にテムルが43歳で崩御すると、次代をめぐって従兄弟のアナンダ、甥のカイシャンが争い、最終的にカイシャンが即位して武宗となった。

宗室[編集]

后妃

男子[編集]