シデバラ
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シデバラ(碩徳八剌、大徳7年2月6日(1302年2月22日) - 至治3年8月4日(1323年9月4日))は、元の第5代皇帝並びにモンゴル帝国の第9代大ハーン(在位:1320年4月19日 - 1323年9月4日)。名はシッディバーラとも言われる。
生涯[編集]
元の第4代皇帝・仁宗アユルバルワダ(ブヤント・カーン)の長男。第3代皇帝・カイシャンが存命中にアユルバルワダに対して、アユルバルワダの死後はカイシャンの遺児を立てるように遺命されていたが、皇太后のダギらはカイシャンが崩御するとこれを反故にして、シデバラを皇太子に立てた。この経緯から、1320年に父帝のアユルバルワダが崩御すると第5代皇帝として即位することはできたが、まだ19歳の若さでしかも祖母のダギが隠然たる権力を掌握していたことから、シデバラは傀儡も同然の立場にあった。
1322年にダギが死去すると、ようやく実権を取り戻して親政を開始する。シデバラは歴代皇帝の時代から既に悪化していた国家財政の再建に着手。奢侈に流れていた宮廷の費用を抑えたり、粛軍を実施して綱紀の引き締めを行なうなど、果断な改革を実施。しかし、この改革を見て失脚することを恐れたフンギラト氏の実力者であるテムデルの一派によって親政開始の翌1323年に暗殺された。21歳没。
シデバラを暗殺したテムデル派は、後継の皇帝に大伯父の晋王・イェスン・テムルを泰定帝として擁立した。