アウシュビッツ強制収容所

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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、Das Konzentrationslager Auschwitz)とは、ナチス・ドイツにおける最大規模の強制収容所である。

概要[編集]

1939年にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで第2次世界大戦が始まる。ポーランドはあっという間にナチス・ドイツとソ連によって分割占領され、アドルフ・ヒトラー1940年に占領下のポーランド南部オシフィエンチムに強制収容所を設置する。この収容所にヒトラーはユダヤ人、ロマ(ジプシー)、ポーランド人、ソ連軍捕虜など約20カ国の人々を送り込み、ガス室などで殺害したとされている。この収容所にはユダヤ人など収容する人間を送り込むために鉄道が引き込まれており、「死の門」と称されるテントがあり、ここでナチスの親衛隊員によってガス室に送る人が選別されたという。

ナチス・ドイツとソ連は当初、独ソ不可侵条約を結んでいたが、1941年にヒトラーはこれを破棄して独ソ戦を開始。独ソ戦は当初こそナチスが優勢だったが、モスクワ侵攻やスターリングラードの戦いに敗れたナチスが次第に押されるようになり、1945年1月27日にソ連軍によって解放され、収容者は救出された。この間に約130万人がこの収容所に移送され、110万人以上が犠牲になったとされている。犠牲者の9割はユダヤ人だったとされている。2020年時点でこの収容所に収容されて生存している人間の証言によると「(収容所の)所長は殺人を楽しんでいた。(ナチス)政権がユダヤ人虐殺を許可し、普通の人々が実行した」と述べている。なお、ソ連軍によって解放される前、ナチスは多くの収容者を別の強制収容所に移し、アウシュビッツの遺体焼却炉を爆破して逃走した、とされている。

なお、有名なアンネの日記の著者であるユダヤ人の少女・アンネ・フランクはアウシュビッツからドイツ国内の強制収容所に移送され、ここで死亡している。アンネの父のオットー・フランクはアウシュビッツで生存していたため、ソ連軍により救出されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]