Encyclopedia

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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Encyclopedia
開設2018年7月24日
ウィキシステムMediaWiki
ホスティングサービスMiraheze
分野倉庫・難民収容
言語日本語
サーバー所在国アメリカ合衆国オランダ
使用時刻世界標準時(UTC)
現状閉鎖
所属Ourmedia Group

Encyclopedia(エンサイクロペディア)とは、ウィキペディアエンペディアから今まさに消えようとしている記事の救済インポートを目的とする、謎の最終処分場もどきである。誤認ブロック、無差別ブロック、無期限ブロックなどで編集できないウィキペディア日本語版の難民を受け入れるという方針も併せ持つ。

概要[編集]

元々はプログラマリオにより、Ourmediaのウィキの一つとして創設されたが、Ourmediaには「自由な百科事典」を称するOurpediaが存在していたため、このサイトの存在理由は全くもって不明であった。そして氏はFusianasan1350やクールトレイン777にビューロクラット権限を付与し失踪した。当初は本サイトの処遇については閉鎖寄りに考える利用者も多かったが、冒頭に記載された二大方針が確立されたウィキとして再出発した。

Fusianasan1350、ほぼ1人の手で2000記事程度が本ウィキに収容されていたが、やがて管理者含む全ユーザーから興味関心を失われ、2022年頃に自然消滅に至った。

以下の情報はいずれもサイト運営当時のものである。

ロゴ[編集]

ロゴは純正品から変更されていない。

移入・インポート[編集]

Encyclopediaオリジナルの記事はほぼ存在しない。Encyclopedia管理者によって、ウィキペディア等で削除議論中・即時削除待ち・リダイレクト済みの記事が書き出され、Encyclopediaにインポートされてくる。ウィキペディアから救済インポートされた記事については、Miraheze標準のCC BY-SA 4.0に加え、ウィキペディアのCC BY-SA 3.0のライセンスも適用される(デュアル・ライセンス)ため、膨大な履歴のある記事をエンペディアにエスケープ転載する際に履歴継承を簡略化することができるという副次的な効果も見込まれる。

削除寸前の記事というものは、基本的に何かしらの問題を抱えていることが多い。これらの記事の体裁を整えてからエンペディアに移入、という使い方もできそうである。

もっと多くの人に使ってみてほしいなあ

記事はどこへ行くのか[編集]

さて、ここに持ち込まれた記事はどうなるのか。実のところ、殆どの記事は取り込まれたあとそのまま放置されている。現時点では岡村潤那のみ記事が唯一改稿後の再移入を経験した例となっているが、その他については手付かずといっていい。修正のペースが追いつかず、持ち込まれる記事も多い、そして何よりアクティブな利用者が1人という点が厳しい。

ひょっとするとエンペディアより優れているかもしれない点[編集]

  • モバイルビューが導入済である。特にデスクトップビューのレイアウトが不安定なAndroid端末からのアクセスに有利かもしれない。
    • 最近はモバイルビューがやたら不安定で、本文が何も表示されていないことが多い。
  • ウィキメディア・コモンズの画像を読み込むことができる。

記事数の推移[編集]

  • 2019年
    • 1月末 通常記事708本
    • 9月末 通常記事966本
  • 2021年
    • 12月末 通常記事約1800本

著作権侵害認定[編集]

2022年7月ごろ、非アクティブとして削除された。Mirahezeは削除され閲覧不可となったWikiのデータも一定期間保管しているため、管理者の一人がWiki復活を願い出たところ、著作権侵害としてマークされていたので復活できないと仰天の回答を得た。当然実際は全く違い、Fusianasan1350によって全ての版が特別:インポートを通じて適切にインポートされていた

恐らく、スタッフは日本語のログを読めないため、インポート記録を理解できずにコピペ行為と誤認していたとみられる。しかし、仮に著作権侵害とマークしているならば、早い段階でコミュニティに警告を出すこともできたはずである。早期に警告されていれば、落ち着いて誤解を解くことができこのような事態には繋がらなかったと考えられる。事前警告や問い合わせ無く一方的に著作権侵害扱いされたのは、不親切と言わざるを得ない。

元管理者はWikipediaから削除される記事の正当な救済移入である事を前述のアーカイブを示しつつ懸命に訴えたが、Agent Isaiらスチュワードは全く認識を改めることはなかった。元管理者はデータだけでも提供をとSREチームにメールで求めたりもしたが、こちらも完全に無視された

前述のStewards' noticeboardにおけるやり取りでは「Wikipediaのパクリ行為」だと非難されていたが、当時は「他サイトのコンテンツを移植すること」自体は何ら違法ではなく、ウィキメディア・プロジェクトからの大量移入を禁じる方針が登場する1カ月前のことであり、曖昧な理由で復活が認められなかったことが浮き彫りとなった。

結果的に数千もの記事がインターネット上から失われたことになった

外部リンク[編集]

関連項目[編集]