1983年の南海ホークスのユニフォーム

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1983年の南海ホークスのユニフォーム1983年南海ホークス1978年~1983年まで使用されていた野村克也鶴岡一人折衷型デザインユニフォームのうち、この年のみマイナーチェンジされたデザインの事を指す。翌年に1988年の球団売却まで使用されたデザインに変更されたため事実上の短命ユニフォームである。

デザイン[編集]

1978年 - 1982年(※1980年はビジターのみ)までのデザインは黄緑色主体。帽子は緑に白のN+Hマーク。アンダーシャツ・ストッキングは緑。ユニフォームは丸首プルオーバー・ベルトレスタイプでホーム用は白、襟・肩・袖・ベルトレス・ズボンのラインは黄緑を深緑で挟んだ太線タイプ。胸のHawksロゴ、胸・背番号・背番号上のネームは黄緑で深緑の縁取り。ビジター用は上着が黄緑、ズボンが白でベルトレスラインが白で両端が深緑、ズボンのラインはホーム用と同様。上着の襟・肩・袖ラインは白に両端を深緑で挟んだ太線タイプ。胸のNANKAIロゴ、胸・背番号、背ネームは白で深緑の縁取り。スパイクシューズはホーム・ビジター用共通で白地に緑ライン。

1983年にマイナーチェンジされたデザインは、ビジター用のズボンがベルトレスからベルトタイプ、ズボンラインなしに変更(※ベルトの色は緑、ベルト通し縁部分を深緑のラインで囲む)。ホーム用はベルトレスからベルトレスカバー付き(黄緑を深緑で囲んだライン)ベルトタイプだった。

概要[編集]

1977年、『公私混同』を理由に野村克也監督をシーズン終盤で解任し、同年限りで現役引退した広瀬叔功が監督に就任。新ユニフォームは鶴岡監督時代の象徴だった肩ライン入りデザインを採用したが、野村監督時代後期に引き続き黄緑色が主体になる(但しサブカラーとして使われていた赤と黄色は廃止)。ユニフォーム変更の1978年以降、チームは6位・5位・6位・5位・5位[1]と低迷期に入り、監督も1981年からドン・ブレイザーに交代するが、Bクラス常連となってしまう。この間にホーム用のみ縦じまというデザインを採用(※これについては1980年の南海ホークスのユニフォームを参照)して巻き返しを試みたがそれも叶わず、黄緑色主体のユニホームは南海にとって暗黒時代の象徴となってしまった。1983年から監督に就任した穴吹義雄はユニフォームを変更して気分一新を図ろうと宣言するが、その頃の親会社・南海電鉄にはユニフォームを新調する資金的余裕がなかったため、この年はズボンのみ変更された。そして翌1984年、ユニフォームは鶴岡色をさらに強めた深緑色主体のデザインに変更して1988年、南海ホークス最後の年まで使用された。

1983年シーズン終了後に行なわれた現役・OB合同のセ・パ対抗オールスター戦「Super Star Game」[2]後楽園球場)で、野村(19)[3]、広瀬(12)、杉浦忠(21)、藤原満(7)がホーム用[4]を着用して試合に臨んだ(カッコ内の数字は背番号)。

2015年5月1日 - 3日に行なわれたオリックス×ソフトバンク戦「OSAKA CLASSIC2015」で、ソフトバンクがこのホーム用ユニフォームを着用した[5]

脚注[編集]

  1. 当時は2シーズン制(1982年まで)のため、年間順位。
  2. 6回までは現役選手の試合で、7回からOB戦という特別ルール。日本テレビで中継された。
  3. 上述の理由により、監督解任後は南海電気鉄道・南海球団および関係者(当時のオーナー・川勝傳や、皆川睦雄岡本伊三美など個人的に関係が強かった人物を除く)と距離を置いていたため、福岡ソフトバンクホークスとなった後の2013年に、同球団が関与したイベントに参加する以前では数少ない南海のユニフォームの着用機会だった。
  4. 現役・OBとも基本的に各球団の同年仕様を着用(出身球団の親会社が変わったOBは、現役当時のものを再現・アレンジしたユニフォームを着用 ※例:国鉄スワローズ、大毎オリオンズ、西鉄ライオンズ、東映フライヤーズ)。また複数球団に在籍したOBは、在籍期間の長かった球団のものを着用した(大下剛史=1967年の東映、土井正博=1983年の近鉄、金田正一=1958年の国鉄、など)。ちなみに藤原は南海コーチ転身1年目(同年の背番号は現役時代と同じ7)で、公式戦でも着用した。また広瀬にとっては監督時代の1978年・1979年(監督最終年の1980年は背番号およびホーム用デザインが変更)に着用したものに類似していた(ズボンのみ1983年仕様のカバー付きベルトに変更)。なお、野村の没後、2021年12月11日に明治神宮野球場で行われた「野村克也をしのぶ会」では、選手・監督で在籍した各球団のユニフォーム(南海・ロッテ西武ヤクルト阪神シダックス楽天)が祭壇に飾られたが、南海については何らかの事情で現役及び監督時代のデザインが用意できなかったためか、この時に着用した1983年ホーム用モデルが飾られていた。
  5. 同年5月2日の「OSAKA CLASSIC2015」にて行われたトークイベントで南海OB・山内孝徳は、夏になるとユニフォームが汗を吸って重くなる、関西での試合は自分で洗濯しないといけない事を明かした。また親会社が南海からダイエーに変わり、本拠地が福岡に移転してからは、クリーニングに出してもらえるようになったことにも触れている。