1969年のアトムズのユニフォーム

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

1969年のアトムズのユニフォームは「アトムズ」と名乗っていた1969年ヤクルトアトムズ初年度の1970年の2年間にわたり使用していたユニフォームのうち、アトムズ時代の1969年の前半のみ使用していたユニフォームの事を指す。1969年後半から1970年使用のユニフォームは若干のマイナーチェンジが施され、また、1971年からは読売ジャイアンツのユニフォームにそっくりなデザインにモデルチェンジしたため、当該ユニフォームの補足事項として扱う。

デザイン[編集]

帽子は青、帽子yaマークのyがコバルトグリーンでaが赤(いずれも白縁)。ユニフォームはホームが白、ビジター用が水色、アンダーシャツとストッキングが青、ベルトはホーム・ビジター用共に赤。ホーム用の胸ロゴ「atoms」、ビジター用の胸ロゴ「yakult」、胸・背番号は赤で白縁。ライン(配色は白地に青・白・赤)は袖、ズボンに二本、首周りとベルト通し縁部分に一本。左袖にホーム用が白地に左が赤、右がコバルトグリーンの楕円囲み中央に赤文字で「yakult」のロゴマーク、ビジター用がホーム用の「yakult」と記された部分に赤で描かれた空を飛ぶ鉄腕アトムのイラスト。このユニフォームから背番号の上にアルファベット表記でネームが付く(配色は胸ロゴ、背番号等と同じ)。

概要[編集]

1969年にヤクルト本社が資本参加を表明、翌1970年に正式譲渡されヤクルトが親会社となり、現在の東京ヤクルトスワローズに至っているが、1969年のみヤクルト本社とフジサンケイグループの共同経営という形を取る事として「アトムズ」(運営会社名は株式会社サンケイアトムズから株式会社アトムズ球団に社名変更)と名乗って公式戦に臨んだ。このため1969年からユニフォームのビジターのロゴが「sankei」から「Yakult」に変更された。

2008年5月3日5日明治神宮野球場で行なわれた対巨人3連戦、ならびに5月2122日西武ドームで開催されたセ・パ交流戦、対西武戦で、ヤクルトは1969年前半のみ使用されたビジター用の復刻版ユニフォームを着用した。先述の対巨人3連戦は「ヤクルトアトムズ復活シリーズ祭」と銘打たれ、これはヤクルトの球界参入40周年ならびに当時のチーム名およびペットマークである鉄腕アトムの原作者・手塚治虫の生誕80年を記念して開催されたもので、このユニフォームが39年ぶりに復活することになった。

補足事項[編集]

  • 当該ユニフォームと1969年後半から1970年使用のデザインとの相違点は以下の通りである。
    • ホーム用「atoms」、ビジター用「Yakult」の胸ロゴ、胸・背番号、アルファベットの背ネームが赤なのに対し、1969年後半から1970年までのデザインは青に変更。また、首周り、袖、パンツラインの配色が青と赤が逆になった。
  • 1971年~1973年までのデザインは以下の通りである。
    • 帽子は黒でマークは白文字で「Y」と「A」を重ねたマーク。ホーム用の「atoms」のロゴ、ビジター用の「Yakult」のロゴ、胸・背番号、アルファベットの背ネームは黒でオレンジ縁。左袖にホーム用「yakult」・ビジター用「atoms」のロゴ入りマーク(デザインは前年までと同じだが、鉄腕アトムのワッペンは廃止された)。首周り・袖・パンツラインは黒をオレンジで挟んだ配色で巨人のユニフォームとそっくりのデザインだったが、主な相違点は以下の通りである。
    • 巨人は袖・パンツラインが二本なのに対し、ヤクルトは一本
    • ビジター用の色が巨人=スカイブルー、ヤクルト=グレー
    • 背ネームの有無(巨人の背ネーム採用は1976年から)
    • ロゴ、背番号の書体(巨人=胸・袖ロゴ花文字書体、胸・背番号角型書体。ヤクルト=胸ロゴ、胸・背番号オリジナル書体)
    • 「ヤクルトスワローズ」に変更直後の1974年のキャンプからオープン戦途中までは、帽子は新ユニフォームに先行して「YS」マークに変更し、ユニフォームは暫定的にホーム用は「atoms」の胸ロゴをビジター用と同じ「Yakult」に貼り替えたものを使用していた。