黒川 盛治(くろかわ もりはる、天文21年(1552年) - 元和3年11月17日(1617年12月14日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。六角氏、織田氏、徳川氏の家臣。
仮名・通称は与次郎、玄蕃助。最初は近江国の六角義治に仕え、六角家没落後は織田信長に仕えて近江国甲賀郡黒川・鮎河・山女原などの7村を所領として与えられた。
信長が本能寺の変で死去した後は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いにも参加して戦後に旧領に800石を与えられている。元和3年(1617年)11月17日に死去した。享年66。