高野瀬 秀隆(たかのせ ひでたか、? - 天正2年4月11日(1574年5月1日))は、戦国時代の武将。浅井氏の家臣。後に織田氏の家臣になった[1]。
受領名は備前守。近江国肥田城主。浅井長政に仕えたが、天正元年(1573年)に織田信長によって浅井家が滅亡すると、信長に仕えた。信長の命令で柴田勝家の与力となり、越前国に所領を与えられたが、天正2年(1574年)4月に越前国安居において自害に追い込まれたという[1]。