革島氏(かわしまし)とは、日本の氏族で武家である。
山城国葛野郡革島荘(現在の京都府京都市西京区川島)発祥。清和源氏の佐竹氏の支流で、佐竹昌義の5男・佐竹義季が讒言で失脚した後、京都に移って公家の近衛基通を頼って革島荘に住む。義季の子・義安は下司となり、革島と改姓したが、これが革島氏の起源である[1]。
天正10年(1582年)6月、織田信長を殺した明智光秀の本能寺の変で光秀に従ったので、戦後は改易されてしまい、江戸時代には帰農した。幕末の革島有尚は尊王攘夷運動の中で尊王派として活躍した。明治時代後は医師となった[1]。
歴史関係で重要な「革島文書」が伝わっている[1]。