陣借り

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陣借り(じんがり)とは、正規の軍隊に属していない浪人や罪を犯して追われている身の武将などが、縁故のある人物の軍勢に手弁当で助太刀に参戦することである。いわゆる敗者復活戦ともいうべきものであり、当時の記録では陣借と記されている。

概要[編集]

これはいわゆる大名家からリストラされた武将が復帰するための手段である。正規の軍隊に属していないので、武器や兵糧の調達は自腹で行なわねばならず、あくまで陣を借りるだけである。これはリストラされた武将などが「自分はまだまだ働けます」と大名に自己アピールして仕官することを再度許可してもらうための制度である。大名側にすれば人材を再度発掘して戦力補強できるチャンスであり、プロ野球で言えば戦力外通告を受けた選手たちが投打を競い、他球団からのオファーを目指すトライアウトのようなものである。

ただし、武士の時代、特に戦国時代などはこれは一種の賭けでもあった。たとえ陣借りして勝利に貢献したとしても恩賞どころか仕官すら保障されているわけではなく、最悪の場合は戦死もあり得る。少なくとも自腹を切った費用は完全に自己負担になってしまう。ただ、武功を立てたのに陣借りを許した大名などが召し抱えないなら、その大名の器量を問われることでもあるため、大抵の場合は勝利に貢献しているなら仕官が許されるのが常識であった。

日本の戦国時代でこの陣借りで復帰を遂げた人物に、前田利家仙石秀久の両名がいる。前田利家は若き日に主君・織田信長の寵愛を受けた同朋衆拾阿弥と諍いを起こし、拾阿弥を斬殺したまま出奔した。後に利家は桶狭間の戦いをはじめとした多くの合戦で陣借りして武功を立てたので、信長から罪を許されて家臣の列への復帰を許されている。秀久は戸次川の戦いで軍監を務めながらもその役目を果たさず、軍を捨てて逃亡した罪により豊臣秀吉によって改易されていたが、後に秀吉が小田原征伐を開始すると徳川家康に陣借りして秀吉に再評価され、大名として復帰を許されている。

逆に失敗例として挙げられるのが宮本武蔵である。武蔵は関ヶ原の戦い宇喜多秀家の軍勢に陣借りして参戦したが、宇喜多軍は大敗して戦後に改易されたため、武蔵の仕官はかなわなかった。武蔵は後に大坂の陣で徳川方の水野勝成に陣借りして参戦している。陣借りして敗戦の場合、仕官も褒賞も期待できない上に、追われる身になるので趨勢を見る目が必要であった。

関連項目[編集]