関八州古戦録
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関八州古戦録(かんはっしゅうこせんろく)とは、江戸時代中期の享保11年(1726年)に成立した軍記物語である。編者は槙島昭武。関東に君臨した後北条氏の第3代である北条氏康、第4代の北条氏政、第5代の北条氏直の3代における関東における合戦を概略的に扱っている。
ただしこの記録は編者の創作などが多く、信頼性に著しく欠けていると見られている。
- 北条氏康の6男・上杉景虎が武田信玄の養子になったと記録している。ただし武田氏関係の系図や軍記類などから、景虎が信玄の養子になっていたと見ることは一切できない。なお江戸時代後期成立の『甲斐国志』に景虎が信玄の養子になったと記録されているが、これは『関八州古戦録』からの引用と見られている。
- 上杉景虎の前名が北条氏秀であると記録しているが、氏秀と景虎は別人であることが明らかになっており、江戸時代前期に成立した『北条五代記』『北条記』などに氏秀と名乗っていたという記録が見られないこと、後北条氏を主題とした軍記類の中で最も良質と見られる『異本小田原記』にも景虎は北条幻庵の婿養子になって北条三郎を称し、さらに上杉謙信の養子となって上杉三郎景虎と称したと記録されている。
これらのことから、この記録は疑わしい点も多く、注意を要する。