鍬田万五郎
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鍬田 万五郎(くわた まんごろう、永禄11年(1568年) - 天正13年(1585年)5月)は、安土桃山時代の下総国の大名・千葉氏の家臣。千葉邦胤暗殺の実行犯である。
生涯[編集]
姓に関しては「桑田」と書かれている記録がある。姓から恐らく、香取郡千田庄一鍬田村の豪族の一族だったのではないかと見られている。
天正13年(1585年)1月1日、居城・佐倉城において正月の祝賀式が行われる。祝賀式の後、書院で家臣らを供応するが、この際に邦胤の近習・鍬田万五郎が配膳係を命じられた。この時、万五郎は放屁を大きな音で2発してしまう。邦胤はこれを聞いて怒り、万五郎はこれに対して謝らずに口答えしたため、かえって邦胤はさらに激怒して万五郎を折檻した上で斬り捨てようとした。しかし、あまりのことに家臣らが止めに入り、万五郎の身柄をひとまず家臣の椎木主水正へ預けるに留められた。しばらくして家臣から邦胤に対して万五郎を許すように進言があり、邦胤も許して出仕させた。
ところが5月1日深夜、万五郎は就寝していた邦胤の寝所に忍び込むと、そこで短刀を抜いて邦胤を刺した。2度突き刺したが即死にはならず、6日後の5月7日になって死亡した。
万五郎は寝所から逃げ出してしばらくは城内に潜伏していたが、やがて発見されて自殺した。あるいは城内からは逃げ切ったが追っ手に追われて捕縛され、処刑されたとも言われている。18歳の若さだった。