野村勝政
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野村 勝政(のむら かつまさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。官途は兵部助[1]。
生涯[編集]
武田信玄に仕え、奉行として活動したが史料ではなぜか永禄2年(1559年)を最後に姿を消している[1]。信玄時代で活動が確認できるのはこの年までの8年間である[1]。
次は武田勝頼の時代の天正9年(1581年)である[1]。つまり勝頼政権期の末期であり、龍朱印状の奏者として活動している[1]。勝頼の側近として権勢を振るっていたようだが、活動が確認できない22年間何もしていたのか不明であり、一説に父子同名の可能性も指摘されている[1]。武田征伐で甲斐武田氏が滅亡した後は勝頼の遺命を奉じて天正17年(1589年)3月に高野山成慶院に勝頼の供養を依頼している[1]。