郭攸之
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郭 攸之(かく ゆうし、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の政治家。字は演長(えんちょう)[1]。
生涯[編集]
荊州南陽郡の出身[1]。学識に優れて名を知られ、劉備に抜擢されて家臣となる[1]。劉禅の時代になると侍中に任命される[1]。227年に諸葛亮が作成した出師の表では「忠実・純粋で宮中のことは彼ら(郭攸之・董允・費禕)に相談するように」と述べられている[1]。ただ性格はかなりおとなしく劉禅に対する諫言ができるような気概は無く、諫言に関しては全て董允がやっていたという[1]。そのため官位についているだけの人物と評され、廖立からも「人につき従うのみで能力不足」と酷評されている[1]。
『三国志演義』では出師の表で名前が登場するだけである。