郭循
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郭 循(かく じゅん、? - 253年1月)は、中国の三国時代の魏・蜀の武将。郭 脩(かく しゅう)とも言われる[1]。字は孝先(こうせん)[1]。『斉王紀』に記録がある。
生涯[編集]
西平郡の出身[1]。魏に仕え中郎となるが、蜀の姜維の侵攻により捕虜となって蜀に送られ、劉禅から左将軍に任命された[1]。
253年1月、蜀で盛大な新年の宴会が開催された際に酒に酔っていた費禕を暗殺したが、自らも殺された[1]。魏から長楽郷侯を追封され、威侯と諡号を贈られているため[1]、あらかじめ魏に通じて要人暗殺を計画していたものと思われ、司馬師・司馬昭らの送り出した刺客だった可能性が高い。