速水保孝

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速水 保孝(はやみ やすたか、1920年 - )は、郷土史家[1]、古代史家[2]

島根県大原郡神原村(現・雲南市)の大地主の三男に生まれた。旧制松江高校、東京帝国大学文学部国史学科卒業。1943年、学徒出陣により海軍に入隊、海軍予備中尉。敗戦後は東京大学大学院に進学、経済学・経済史を学んだ[3]。大学院修了後[1]、金沢高等師範学校(現・金沢大学)講師となり、文科で日本史を担当する。1949年、木村小左衛門の招請により第三次吉田内閣国務大臣秘書官となる。1952年、島根県庁に入り、厚生部長、県立図書館長などを歴任。退職後、出雲古代史研究に取り組み[3]島根大学非常勤講師を務めた[1]。元加茂町長・雲南市長の速水雄一の叔父[4]

憑きもの持ち迷信[編集]

速水は狐持ちといわれる家筋に生まれた。山陰地方では昭和20年代でも狐持ちや犬神持ちなどの憑きもの持ちの迷信が根強く残り、結婚の障害になっていた。このような迷信を撲滅しようと、1953年に憑きもの持ちの社会経済史研究である『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』を刊行した。同書で憑きもの持ち迷信を、江戸時代中期以降に封建農村への貨幣経済の浸透に伴い台頭した新興地主に対する、農民の反抗運動であるとした[3]。同書には民俗学者の柳田国男、島根県知事の恒松安夫が序文を寄せている。吉本隆明の『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)の中で取り上げられていることでも知られる。

出雲古代史研究[編集]

弥生時代出雲に大勢力が存在していたと主張する。速水はこれを「原出雲国」と呼び、「記紀」や「風土記」に描かれていると主張する[2]。1984年に島根県簸川郡斐川町(現・出雲市)の荒神谷遺跡から出土した大量の青銅器は、その証拠であると考える。歴史学者の門脇禎二も同様の主張をしているが(原イツモ国)、定説にはなっていない[5]。また速水は出雲人のルーツを古代朝鮮の伽耶諸国(任那)に求めている[6]

1996年から加茂町教育委員会による加茂岩倉遺跡の発掘調査で、国立歴史民俗博物館の佐原真副館長らと指導、助言にあたった[7]

1997年に松江市の新市立病院建設予定地に見つかった田和山遺跡の現状保存を求めた市民団体「田和山遺跡を考える会」の代表委員の一人[8]

著書[編集]

  • 『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』(柏林書房、1953年)
    • 『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察』(柏林書房、1956年/明石書店、1999年)
  • 『松江――その歴史と伝統』(文、岡田憲佳写真、島根郷土資料刊行会、1974年)
  • 『出雲――ヘルンの見た神々の国』(文、山陰郷土文化研究所、1979年)
  • 『隠岐――隠岐国新風土記』(山陰郷土文化研究会、1976年)
  • 『出雲の迷信』(學生社、1976年)
  • 『出雲の歴史』(編著、講談社、1977年)
  • 『出雲祭事記』(講談社、1980年)
  • 『原出雲王権は存在した――出雲古代史を行く』(山陰中央新報社、1985年)

分担執筆[編集]

  • 西田千太郎『西田千太郎日記――全一巻』(島根郷土資料刊行会、1976年)
  • 松本清張編『銅剣・銅鐸・銅矛と出雲王国の時代』(日本放送出版協会、1986年)
  • 谷川健一編『日本民俗文化資料集成 第7巻 憑きもの』(三一書房、1990年)
  • 平田市教育委員会社会教育課編『市民大学講座集録集――日新富有 平成2年度』(平田市教育委員会、1991年)
  • 小松和彦編『民衆宗教史叢書 第30巻 憑霊信仰』(雄山閣出版、1992年)
  • 谷川健一、大和岩雄責任編集『民衆史の遺産 第10巻 憑きもの』(大和書房、2016年)

出典[編集]

  1. a b c 日外アソシエーツ編『現代日本人名録 1998 4. そ~ひれ』日外アソシエーツ、1998年、1554頁
  2. a b 「荒神谷遺跡、謎解きの扉重く 銅剣大量発見から5年 【大阪】」『朝日新聞』1989年6月26日付夕刊5面(大阪特集)
  3. a b c 速水保孝『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察』(明石書店、1999年)
  4. 「速水雄一さん 34個の銅鐸が出土した島根県加茂町の町長(ひと)」『朝日新聞』1996年11月2日付朝刊3面(3総)
  5. 「弥生の宗教革命を示唆 島根・加茂岩倉遺跡から大量の銅鐸 【大阪】」『朝日新聞』1996年10月23日付朝刊4面(オピニオン)
  6. 「ルーツ(人間交流 環日本海のきずな:10)」『朝日新聞』1991年9月25日付朝刊(京都)
  7. 「調査指導に専門家14人 島根・加茂岩倉遺跡 【大阪】」『朝日新聞』1996年10月22日付朝刊29面(3社)
  8. 「全国から保存の要望書、署名 市民団体が市長に 田和山遺跡 /島根」『朝日新聞』1998年11月25日付朝刊(島根)