近江鉄道220形電車
近江鉄道220形電車(おうみてつどう220がたでんしゃ)とは、近江鉄道に在籍する、史上最凶のゲテモノ直流電車である。
概要[編集]
番号 | 竣工 | 西武番号 | 近江種車 |
---|---|---|---|
モハ221 | 1991年1月 | モハ742 | モハ205 (2代目) |
モハ222 | 1992年8月 | クハ1742 | モハ203 |
モハ223 | 1993年6月 | クハ1741 | モハ101 |
モハ224 | 1994年5月 | クハ1740 | モハ102 |
モハ225 | 1995年2月 | クハ1739 | モハ132 |
モハ226 | 1996年3月 | モハ741 | モハ103 |
1986年から近江鉄道では経費削減のためにレールバスであるLE10形を導入し、電車列車を置き換えていた。近江鉄道最初の冷房車であったが、車体の軽さから踏切警報機が鳴動しない、12m車体で輸送力が小さく2両編成での運用が常態化していた、バス用部品の多用から老朽化も早いなどにより早々と置き換えが迫られていた。
ここで彦根工場の匠により多数の車両の部品を掻き集めて1991年から製造された鉄道模型のような車両が220形だが、この車両の構造は戦前の朝倉軌道以来の類を見ないものとなった。車歴は複雑で本形式竣工後も種車が彦根駅構内に留置されていた。このうち3両が岳南鉄道からやってきた近江鉄道モハ100形電車、一両が近江鉄道モユニ10形電車であった。
構造[編集]
17m級車体、両開き3扉を片側に備える全鋼製・冷房付きの車体である。台枠については古典的な形鋼通し台枠に西武701系電車の台枠の一部をくっつけた形のものを採用。国鉄オハ61系客車と同様、強度は十分に保っていたため問題はなかった。
主電動機と主制御器は戦前の国電の標準品であった出力100kWのMT15およびCS5を採用。弱め界磁は省略された。駆動方式は吊り掛け駆動方式となっている。すでに半世紀以上前の設計であるが、近江鉄道ではこれが未だに標準品となっていたためそのまま採用された。発電ブレーキは制御装置の構造の関係から搭載されていない。
台車については西武鉄道の廃車発生品である空気ばね台車のFS40、ブレーキ方式はHRD電気指令式ブレーキとなっている。これによりメンテナンスフリー化が図られた。
冷房装置については車体構造上大容量の補助電源装置が取り付けられないことから架線電圧引き通し式のクーラーが搭載された。これは直流600Vではよく見られたパターンであるが、直流1500Vのもとでは当時他に愛知環状鉄道100形電車に見られた程度であった。
この鉄道模型のような寄せ集め車両は1991年から1996年にかけて計6両が製造された。
運用[編集]
全線にわたって幅広く運用されたが、運用開始当初からすでに吊り掛け駆動方式の車両は珍しく、熟練工たちが退職したため、老朽化も進み運用が困難になっていった。また、単行運転が基本であったため収容力には限界があった。しかも極め付きには台枠が乗客の重さに耐えきれないことが判明し、2013年より900形、100形により置き換えが開始され、2015年までにすべての車両が定期運用を終了した。
運用離脱後はモハ226以外長らく彦根駅構内に留置されていたが2019年にモハ221〜225は奈良県の工場へと解体のために搬出され、2021年現在は226のみが事業用車として在籍する。その226も2022年のラストラン以降本線運用には一切就いていない。
新制車にしなかった理由[編集]
古い電車を廃車にしてその部品を使用して新製車とすればよいものを改造名義で作る理由として、新製費用の抑制、税金の節約など、いろいろ考えられるが、真相は不明である。もっとも、近江鉄道において当時は車籍を使い回すという手法が繰り返されていた。新製扱いとした例として国鉄キハ54形気動車やJR東日本107系電車がある。
評価[編集]
乏しい資金の中でいかに車両を作るか、戦後の西武鉄道や国鉄オハ61系客車と同じことが行われた。使用期間が短かったが、近江鉄道の近代化、冷房化を果たした役割は大きい。