足利竹若丸

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが足利竹若丸の項目をおカタく解説しています。

足利 竹若丸(あしかが たけわかまる、? ‐ 元弘3年/正慶2年(1333年))は、鎌倉時代末期の足利氏の一族。

生涯[編集]

室町幕府の初代将軍・足利尊氏の庶長子。異母弟に足利直冬足利義詮足利基氏らがいる。母は側室で足利一族の加古基氏の娘。

伊豆国走湯山伊豆山神社に住していたといわれるが、これは北条氏に対する人質的な意味があったのではないかと見られる。

元弘3年/正慶2年(1333年)4月、父の尊氏が丹波国において鎌倉幕府に対して叛旗を翻し、京都六波羅探題を攻撃しようとする姿勢を見せたことが鎌倉の北条高時らに伝わると、竹若丸に対して刺客が差し向けられた。事前に父の離反を知っていた竹若丸は母の兄である走湯山密厳院別当の覚遍と共に山伏に身をやつして脱出し、父との合流を図ろうとしたが、駿河国浮嶋が原(現在の静岡県沼津市)において幕府の刺客・長崎勘解由左衛門尉によって暗殺された。

法名は霊光院殿。

なお、Wikipediaでは正中元年(1324年)出生とされているが、竹若丸の生年は史料では全く確認できず、これは出鱈目である。