費観
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費 観(ひ かん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の武将・政治家。字は賓伯(ひんはく)[1]。費禕と同族。妻は劉璋の娘[1]。劉璋の母は費観の族姑である[1]。
生涯[編集]
荊州江夏郡鄳県の出身[1]。213年に劉備の入蜀での戦いでは李厳と共に綿竹で劉備軍に抵抗するが、敗れて降伏する[1]。劉備が益州を支配すると裨将軍に任命される[1]。223年に都亭侯・振威将軍に昇進する[1]。費観は人付き合いがうまく20歳も年上で自尊心の高かった李厳とも対等に交際したが、37歳の若さで死去したという[1]。
『三国志演義』では劉璋の弟として登場し、李厳と共に綿竹に籠もって守るが、諸葛亮の計略で捕虜となった李厳に説得されて降伏した。