西村卓司

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西村 卓司(にしむら たくじ、1931年3月24日 - )は、労働運動家。人名事典等には西村卓二と表記されている[1][2][3][4][5]三菱重工長崎造船労働組合(長船労組)元副委員長兼法規対策部長[6]

経歴[編集]

横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校を2年で中退。1945年三菱長崎造船所の三菱長崎造船労働組合(1956年全造船に加盟)の書記となり、1952年日本共産党に入党、1950年のレッドパージで消滅した長崎造船細胞を再建。50年代後半エリコン生産拒否闘争、臨時工の常用切り替え闘争などで党中央と対立[3][7]。1960年1月安保闘争の中で共産主義者同盟(ブント)に個人加盟し、全学連日共学生細胞からブントに移籍した荒川澄とともに日共を除名された。これを受けて長崎造船細胞は日共を集団離党、ブントに集団加盟し、同年6月に長崎造船社会主義研究会(長船社研)を結成[7]。60年代には新左翼系労働運動の代表的存在となった[8]

1965年12月全造船三菱重工支部長崎造船分会から第二組合の三菱重工長崎造船労働組合(1968年より三菱重工労働組合長崎造船支部)が分裂した後、1970年9月13日第三組合の三菱重工長崎造船労働組合の結成を指導[1][9]。少数派労働運動を展開し、学会からも注目を集めた[1]。1986年6月20日荒川澄組合長らと本工・下請労働者の連帯を目指し長崎三菱連帯労組を結成、長船労組副委員長[4][9]。1989年総評全国一般長崎連帯支部に改組。2005年時点で全国一般長崎連帯支部法規担当[8]。全国一般長崎連帯支部と同長船労組は在籍の現役組合員が皆無となったため、2013年12月4日に臨時大会で解散を決議した[9]。2014年時点で労働情報編集委員会常任運営委員[6]

著書[編集]

  • 『労働基準法――実践の手引き』(古谷杉郎共著、社会評論社、1991年/井上浩監修、増補改訂版1994年)

出典[編集]

  1. a b c 山田宏二「西村卓二」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、984-985頁
  2. 上田孝也「西村卓二」、戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、206頁
  3. a b 清水慎三「西村卓二」、朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、1223頁
  4. a b 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年、1914頁
  5. 西村卓二(にしむら たくじ)とは - コトバンク
  6. a b 『労働情報』第900号(2014年11月25日号) 労働情報
  7. a b 香村正雄、加藤尚武、宮脇則夫、蔵田計成佐藤浩一、西村卓司、前田裕晤「ブント結成50周年記念集会」『情況』2008年12月号
  8. a b 絓秀実、井土紀州、松田政男西部邁、柄谷行人、津村喬、花咲政之輔、上野昂志、丹生谷貴志『LEFT ALONE――持続するニューレフトの「68年革命」』明石書店、2005年、100-101頁
  9. a b c 石川源嗣『労働組合で社会を変える』世界書院、2014年

関連文献[編集]

  • 久保田達郎、藤田若雄高梨昌、神林章夫、竹川慎吾編『新左翼労働運動10年――三菱長崎造船社研の闘争(全2巻)』三一書房、1970年
  • 三菱長崎造船社会主義研究会編『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』三一書房、1973年

外部リンク[編集]