三菱重工労働組合長崎造船支部
三菱重工労働組合長崎造船支部(みつびしじゅうこうろうどうくみあい ながさきぞうせんしぶ)は、三菱重工業株式会社長崎造船所の労働組合。三菱重工労働組合の支部の一つ。通称は長船支部(ながせんしぶ)[1]。
概要[編集]
1964年に三菱日本重工業・三菱造船・新三菱重工業の3社が合併し、三菱重工業が発足した。当時、長崎造船所の労組である全日本造船機械労働組合三菱重工支部長船分会では、組合の民主化を主張する刷新同志会、社会党・共産党系の運動家、新左翼の社会主義研究会の3派が活動していた[2]。三菱重工業発足をきっかけとして[1]、1965年12月7日に刷新同志会を中心とする2007名が三菱重工長崎造船労働組合を結成した。同月9日に三菱重工労働組合広島造船職員組合(同月8日結成)とともに三菱重工労働組合西日本連合会を結成した[3]。1966年11月に三菱重工業本社労働組合、三菱日本重工業労働組合連合会、新三菱重工業労働組合、三菱重工労働組合西日本連合会が三菱重工労働組合連合会を結成した。1968年12月にこれが三菱重工労働組合として単一組織化し[4]、三菱重工長崎造船労働組合は同労組の長崎造船支部となった。
長崎で最も有名な労働組合といわれ、最盛期には1万6000名余りの組合員を擁した[1]。組合員数は2005年で約7000名(社員数は出向者含め7500名)[5]、2019年で3900名弱と減少傾向にある[1]。国税庁法人番号公表サイトによれば、2017年10月30日に三菱重工グループ労働組合連合会長崎地区本部に名称を変更した[6]。ただし、その後も三菱重工労働組合及び同長崎造船支部は存在しているため、新たに上部団体として三菱重工グループ労働組合連合会が結成されたものとみられる。三菱重工労働組合は基幹労連を通して連合に加盟していたが、この頃から三菱重工グループ労働組合連合会を通して基幹労連及び連合に加盟している。
機関誌は『だんらん』。職場だけでなく地域にも配布した点が特徴であったが、2019年に郵送に切り替えられた[1]。
組合選挙[編集]
1969年に小宮武喜(民社党)を旧衆院長崎1区で初当選させてから地方議会を含め組織内議員を輩出し続けている[5]。1995年の統一地方選挙では、長崎県議会、長崎市議会、周辺の市・町議会、国会で計26人の組織内議員を当選させた。1990年の衆院選から高木義明が連続9期当選し、旧衆院長崎1区は「民主党の牙城」と呼ばれた。2019年時点で国会議員はいないが、地方議員は擁している[1]。
選挙での組織力の鍵として、地域組織と後援会加入カードが挙げられる。小学校の校区ごとに「校区長」、町内会ごとに「地区長」、その下に班長を置き、市議会議員が複数の校区を「ブロック」にまとめている。このブロックや校区ごとに行事を開催したり[1]、校区長にビラ配りなどを差配させたりしている[5]。「後援会加入カード」は組合員1人につき10名のノルマが与えられる。また組合員が有給休暇を取得して選挙運動を行ったり、造船所の幹部が集会でマイクを握ったりすることもある[1]。
組織内議員[編集]
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h 馬場直子 「驚異の組織力」組合選挙はいま | 各地からの報告 | 統一地方選2019 NHK選挙WEB(2019年2月28日)
- ↑ 鈴木博「三菱重工業における出向・転籍慣行 : 第一次造船不況時の事例」『経済論叢』188巻1号、2014年
- ↑ 三菱重工本社組合史編纂委員会編『三菱重工本社組合史稿』三菱重工労働組合本社支部、1976年
- ↑ “東京地裁判決昭和58年4月28日 昭和51(ワ)2564 全造船機械三菱重工支部損害賠償等(PDF)”. 裁判所. 2020年10月11日確認。
- ↑ a b c 〈35日決選〉集票網、暮らしに浸透 三菱重工労組 - 2005総選挙: 長崎 asahi.com(2005年9月7日)
- ↑ 三菱重工グループ労働組合連合会長崎地区本部の情報 国税庁法人番号公表サイト
関連項目[編集]
- 全日本労働総同盟(同盟)
- 全国造船重機械労働組合連合会(造船重機労連)