虞 汜(ぐ し、生没年不詳)は、三国時代の呉の武将・政治家。父は虞翻。兄弟に虞忠・虞聳・虞昺ら。字は世洪(せいこう)[1]。
虞翻の4男。孫権・孫亮に仕え、孫綝がクーデターを起こして宮中に入って実権を掌握しようとした際には諫言した[1]。孫亮の廃位により孫休が即位すると散騎常侍に任命された[1]。扶厳の討伐で功績を立てたので交州刺史に任命され、さらに冠軍将軍・余姚侯となるが、程なく病死した[1]。