虞 昺(ぐ へい、生没年不詳)は、三国時代の呉から西晋にかけての武将・政治家。父は虞翻。兄弟に虞汜・虞忠・虞聳ら。字は世文(せいぶん)[1]。
虞翻の8男[1]。呉では黄門郎・尚書・侍中となる[1]。呉滅亡後は西晋に仕えて済陰郡の太守となった[1]。