茨木重朝
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茨木 重朝(いばらき しげとも、? - 元亀2年8月28日(1571年9月17日))は、戦国時代の武将。三好氏の家臣、次いで室町幕府の幕臣。摂津国茨木城主。
生涯[編集]
室町幕府管領・細川晴元の重臣・茨木長隆の子か一族とされる。受領名は佐渡守。なお、重朝の諱は一次史料では確認できない。
最初は三好長慶に仕える。長慶没後も三好氏の配下だったようだが、永禄11年(1568年)に足利義昭を奉じて織田信長が上洛すると、信長に降伏して摂津三守護の1人とされた和田惟政の麾下に入った。永禄12年(1569年)1月に三好三人衆が本圀寺を攻めた際には足利義昭を救援し、桂川付近で三好軍と交戦している。
元亀元年(1570年)8月、信長の野田・福島城攻めに参加し、中島天満森に着陣している。元亀2年(1571年)8月28日、和田惟政に従って池田知正の配下であった荒木村重と摂津国郡山で戦い、敗死した。