花井善友
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花井 善友(はない ぜんゆう、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。
略歴[編集]
尾張国星崎の出身で、最初は織田信秀に仕えた。通称は右衛門尉兵衛[1]。
弘治2年(1555年)、尾張鳴海城の山口氏が織田信長に背いて今川義元に内通した際、信長から一雲斎針阿弥と共に山口氏に対する処分と厳正なる調査を命じられている。なお、姓は当初は伊瀬木だったが、後に花井と改めた[1]。
本能寺の変で信長が死去した後は、その次男の信雄に仕えて200貫文の知行を与えられているとされるが、善友かどうかには疑問も持たれており[1]、本当に同一人物としたらかなりの高齢であると推定される。
子と孫に花井伝右衛門がおり、いずれも信長に仕えており、孫は姉川の戦いで戦死している[1][2]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。