翠巒祭

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翠巒祭(すいらんさい :Suiran Festival)とは、群馬県立高崎高等学校文化祭である。

概要[編集]

群馬県内の高校の文化祭では最大規模であり、毎年、6月第1土曜日、日曜日の2日間で開催される。来場者は2018年データで、17556人。[1]

運営は生徒会が主体となり、実行委員、各クラス、各部活の生徒全員がそれぞれ制作に励む。

展示[編集]

主な展示は以下の通り。[2]

イベント[編集]

主なイベントは以下の通り。[2]

  • ミスコン(ミス高高)※ただし、男子校であるため、女装で行われる
  • 歌唱大会(マジ歌)
  • ボディビル大会(筋肉王国)
  • 演奏大会(翠嵐ステーション)
  • eスポーツ大会
  • 部活動発表(應援部、和太鼓部、吹奏楽部、マンドリン部、合唱部)

歴史[編集]

前身は1947(昭和22)年に行われた創立50周年の祭典である。その翌年に自治会文化部が主催となる第1回文化祭が行われた。主にブラスバンドの演奏や合唱、また群馬県立高崎女子高校高崎市立女子高校とのコーラスが行われた。「翠巒祭」という名称が使用されたのは13年後の1960(昭和35)年、群馬県立高崎高等学校と名称が変更された年である。

沿革[編集]

1957年、文化祭
1960年、第1回翠巒祭の様子
1967年、市内パレードの様子
  • 1947(昭和22)年 - 文化祭の前身となる創立50周年の祭典が行われる。
  • 1948(昭和23)年 - 式典の翌年、11月26,7日に第1回文化祭が開催される。この年に群馬県立高崎高等学校と名称が変更。
  • 1960(昭和35)年(第1回) - これまでの文化祭に「翠巒祭」という名前が使用される。5月27日、28日に第1回翠巒祭が開催。開催時期が秋から春に変更される。
  • 1961(昭和36)年 - 生徒会のアンケートによって「翠巒祭」の名称が正式決定される。以後、現在まで使用されている。
  • 1965(昭和40)年(第13回) - この年からスローガンを制定。
  • 1967(昭和42)年(第15回) - この年から、市内パレードを実施。
  • 1973(昭和48)年(第21回) - 前夜祭のファイヤーが、横行していた暴力の排除のため、この年から中止。1960年から再開。
  • 2018(平成30)年(第66回) - 入場者数が過去最高の17556人を記録。
  • 2020(令和2)年(第68回) - 新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から無観客での開催。
  • 2021(令和3)年(第69回) - 前年と同じく、無観客開催。
  • 2022(令和4)年(第70回) - 新型コロナウイルス感染拡大防止等の観点から、チケットでの開催。
  • 2023(令和5年)(第71回) - 前年より規制を緩和してのチケット制での開催。

参考文献[編集]

  • 高崎高校百年史編纂委員会編集「高崎高校創立百周年記念誌『高崎高校百年史』」(通史編)群馬県立高崎高等学校創立百周年記念実行委員会発行 1998年3月31日

脚注[編集]

  1. https://twitter.com/suiranfes/status/1003271598281900032” (日本語). X (formerly Twitter). 2023年9月8日確認。
  2. a b イベント | 翠巒祭” (日本語). 2023年9月8日確認。

関連項目一覧[編集]

外部リンク[編集]