義観
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義観(ぎかん、永享11年閏1月17日(1439年3月2日) - 寛正5年4月17日(1465年5月23日))とは、室町時代中期の足利将軍家の一族。
生涯[編集]
父は室町幕府の第6代征夷大将軍・足利義教。母はWikipediaの足利義教の系譜では日野重子と無責任に記されているが、実際は遠州某という名の娘だったという。そのため、第7代将軍・足利義勝や第8代将軍・足利義政は異母兄に当たる。なお、この誕生日は足利義視とはわずか1日違いであった。
赤松満政の屋敷で生まれ、烏丸資任が養育に当たった。嘉吉3年(1443年)3月、5歳で聖護院満意の元に入室する。その後、聖護院の門跡・僧正となる。
寛正3年(1462年)12月、足利義政より突如として隠居命令を出されて隠居し、そのわずか2年後に26歳の若さで死去した。