美里村 (三重県)
ナビゲーションに移動
検索に移動
美里村(みさとむら)とは、三重県安芸郡にかつて存在した村である。現在は津市の一部となって消滅している。
概要[編集]
三重県の中北部に位置していた村で、津市の西、久居市の北にあった。有名な曽我兄弟の敵討ちの仇役である工藤祐経の孫・工藤祐政が鎌倉時代後期にこの村に長野城を築いて居城にしてから、以後は長野工藤氏が織田信長によって永禄11年(1568年)に滅ぼされるまで、三重県中部を支配する中核地にした地でもある。
昭和29年(1954年)10月、辰水村・長野村・高宮村の3村が合併して美里村が誕生する。
この村は典型的な農山村であり、村域内は布引山地に属する山々が広がっているため村の7割近くを山林と原野が占めている。西部山岳地帯に源を発する長野川が南部を南東流し、北東部には安濃町へ流出する穴倉川がある。
この村の中心地は長野・穴倉の両川沿いに商店街が形成されており、主な産業としては稲作・麦作・果樹栽培・苺・茶・養蚕・畜産などである。林業も依存度が高く、タケノコやシイタケなどの特産物がある。
観光地としては前述している長野城跡のほか、景行天皇の皇女である五百野皇女(五百野姫)の墓、目無地蔵、義犬塚、柳谷の貝石山(三重県の天然記念物)などがある。
平成18年(2006年)1月1日、平成の大合併により、津市・久居市・安芸郡河芸町・芸濃町・安濃町・一志郡香良洲町・一志町・白山町・美杉村と合併して新しい津市が発足したことにより、美里村は廃止された。