長野城 (伊勢国)

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

長野城(ながのじょう)とは、現在の三重県津市美里町桂畑に存在した。現在は城跡のみであるが、国の史跡に指定されている。

概要[編集]

標高540メートルの小高い山の頂上にある山城。築城は鎌倉時代後期で、築城者は工藤祐政という。この祐政は鎌倉時代前期に曾我祐成時致兄弟によって討たれた仇役である工藤祐経の孫にあたる。この祐政の家系を長野工藤氏といい、以後16代330年余りにわたって中勢地方を支配する拠点となった。

長野工藤氏は小大名ながら戦国大名として飛躍したが、伊勢国の覇権をめぐる北畠氏との抗争に敗れて衰退し、永禄11年(1568年)には尾張国織田信長の侵攻を受けて長野城は落城し、長野工藤氏は戦国大名としてはその終焉を迎えている。

現在の城跡は東・中・西と三分されており、城跡の石碑も建立され、国の史跡として指定を受けている。