立浪和義
中日ドラゴンズ 監督 #73 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府摂津市 |
生年月日 | 1969年8月19日(55歳) |
身長 体重 | 173 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 二塁手、三塁手、遊撃手、左翼手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト1位 |
初出場 | 1988年4月8日 |
最終出場 | 2009年10月24日(クライマックスシリーズ:ファイナルステージ第4戦) 2010年2月27日(引退試合) |
立浪和義 | |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ・監督歴 | |
野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 | |
選出年 | 2019年 |
得票率 | 77.4%(371票中287票) |
選出方法 | 競技者表彰(プレーヤー部門) |
立浪 和義(たつなみ かずよし、1969年8月19日 - )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手、監督。
現役時代は高卒ルーキーとして入団した年から引退まで中日ドラゴンズの中心選手として活躍し続けたことから3代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれている(初代は西沢道夫、2代目は高木守道である[1])。
経歴[編集]
高校野球[編集]
PL学園高等学校では3年時に主将として中村順司監督の期待に応え第59回選抜甲子園大会(準決勝で久慈照嘉擁す東海大甲府、決勝戦で三輪隆擁する関東第一高等学校戦)と第69回夏の甲子園選手権大会(決勝戦で島田直也・仁志敏久擁する常総学院高校戦)の甲子園春夏連覇を達成(海邦国体・準々決勝では夏の準決勝で破った芝草宇宙擁する帝京高校に敗北)。
1988年にドラフト1位で中日に入団。背番号は3。入団当初は同い年で同じ右投左打で同じ1987年1位指名である、浦和学院高校から西武ライオンズに入団した鈴木健をライバル視していた。
プロ選手時代[編集]
開幕戦に2番・ショートでフル出場し、6回裏の第3打席で横浜大洋・欠端光則から二塁打を放つ (プロ初安打) 。
プロ通算22年間で日本記録となる487本の二塁打を放っており、前述のプロ初安打も、現役最後の安打も二塁打である。
1999年には選手会長に就任。李鍾範と入れ替わるように内野手に復帰し開幕戦で「5番・二塁手」で先発出場、6回裏にネイサン・ミンチーから勝利打点となるタイムリー二塁打を放ち、プロ野球タイの開幕11連勝を飾った。同年5月8日広島で佐々岡真司に無安打無得点試合喫した際もフルイニング出場(同試合及び前出の開幕戦には「立浪二世」の呼び声高かった広島の高卒新人遊撃手、松坂世代の内野手の代表格東出輝裕は不出場)。同年9月30日マジック1で迎えた神宮球場で、9回2死から宣銅烈がロベルト・ペタジーニを内野フライに打ち取り二塁手として捕球し優勝決定。チーム最多の勝利打点を記録し選手会長として牽引。王が率いるダイエーとの日本シリーズ第1戦では13奪三振で完封勝利の工藤公康から4打数2安打、第2戦では若田部健一から先制適時打を放った。しかし打率は2割6分台に終わり、同年シーズン終盤には星野監督から中村武志と共に呼び出され、「来年はお前らの引退試合を用意してやる」と最後通告を受けた。これに発奮し、同年オフから身体を鍛え直した。
2000年5月6日、ナゴヤドームでの対横浜戦で、立浪自身の喫した判定への不満から星野が球審の橘高淳に抗議して胸を突き、同僚の大西崇之が肋骨を骨折させたことでファンから大西・星野と共に刑事告発されるが、起訴猶予処分となっている。
2003年7月5日の巨人戦で通算2000本安打を達成するも、森野将彦成長後は専ら「代打職人」として拍手されることが多くなった。2009年に現役を引退。
現役引退後[編集]
引退後は野球解説者として日本テレビの他、CBCテレビ、東海テレビ、テレビ愛知の中継にもゲスト出演していた[2]。
2013年のオフには、高木守道の監督退任に伴い中日の次期監督候補の一人として名前が挙がった[3]が監督就任は実現せず、結局谷繁元信が選手兼任監督に就任した[4][5]。
当時、一部によるとテレビ解説などでナゴヤドームを訪れた時には、中日の若手選手に熱心にアドバイスを送る姿も見られ、チーム内外から立浪監督待望論がささやかれてきた[3][6]。なお、立浪自身は著書にて「いずれはもう一度、中日ドラゴンズのユニフォームを着て、指導者としてグラウンドに立ちたい。そのために、これからはいろいろ考えて努力していきたいと思う」「私は果たして、(もし指導者になったら)星野監督のように、いざ試合が始まったら別人になれるだろうか」と記し、将来的に中日で監督を務めることに意欲を示している[7]上、高木の在任していた2012年10月時点でも東海地方では「最も監督になってほしい男」として、監督就任を熱望されている[6]。
しかし、その一方で落合博満(2017年(平成29年)まで中日ゼネラルマネージャー〈GM〉)からは周囲に、「『白井オーナーがいるかぎり監督にはなれない』と漏らしていた」という[8]。
実際、反社会的勢力との交際や、タレント・梅宮アンナとの不倫騒動(一時期は家庭を捨ててアンナとの結婚を真剣に考えていた時代もあったとも報じられている。その証拠に、立浪はアンナの父・梅宮辰夫に挨拶をしているとも報じられている)[9][10]が報じられるなど、「私生活面での“黒い疑惑”が多く、それが原因で白井文吾オーナーに毛嫌いされている」との報道もある[6]。
一方、2014年10月中旬には極秘で、出身である中日の球団幹部と接触し、低迷するチームに再建策を提言しながら、次期監督やコーチでの入閣ができないか、球団のトップである落合GMをすっ飛ばして、半ばクーデター的な形での入閣を狙ったやり口で売り込んだという[11]。これに反発した落合GMは「俺が知らないところで、アイツは何をやってるんだ!」と大激怒し「俺がいるうちは、絶対に球団には近づけさせるな!」と指令を出したという[11]。このように「入団時から将来の監督を約束された幹部候補生にもかかわらず、現在の中日を取り仕切る白井オーナー、落合GMと折り合いが悪く、引退してから6年、一度もユニホームを着ることなく冷や飯を食わされているのが実情だ」と日刊ゲンダイは報じている[12][13]。
2015年オフには、星野仙一が取締役副会長を務める東北楽天ゴールデンイーグルスの大久保博元監督の成績不振による辞任に伴い、サンケイスポーツから次期監督候補として報じられた[14][15][16][17]が監督就任は実現せず、結局梨田昌孝が監督に就任した[18][19]。
同年11月29日の中日ドラゴンズOB総会とOB会に現役引退時の2009年(同年オフが現役からOBへの端境期だったことを考えると、実質的には初の出席となる)以来6年ぶりに出席し、OB総会にて、来季より中日OB会の会計に就任することが発表された(新OB会長の鈴木孝政による選出。鈴木曰く、「理事の中でも立浪に肩書を付けようと、私が強制的に会計に推した。初めは拒んでいたが、『いいから(肩書を)付けろ』と言って就任させた。近い将来を考えてのこと。自然の流れで違和感はないよ」「近い将来にはユニホームを着てもらうことも望んでいる」とのこと)[20]。
球団復帰[編集]
2021年の春季キャンプで中日の臨時コーチを務め、与田剛の後任として2022年に監督に就任した。背番号は73。
監督の3年間は常にBクラスで、成績不振の責任を取って、2024年(令和6年)シーズン限りで辞任することを同年9月に表明した。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 2005年4月発売の中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡(ベースボール・マガジン社 ISBN 978-4-583-61324-6)には、木俣達彦について「ミスタードラゴンズの資格十分」と書かれている。また、北京オリンピック野球日本代表監督を務める以前の星野仙一を「ミスタードラゴンズ」と紹介している文献も存在する(オークラ出版「中日ドラゴンズ伝説」〈2008年4月30日出版、ISBN 4775511882 / ISBN 978-4775511886〉p.21)。
- ↑ 廣済堂出版『12球団全選手カラー百科名鑑2015』(ISBN 978-4331802939、2015年2月20日発行)
- ↑ a b 中日 来季監督有力候補に立浪氏!人気、選手実績とも抜群 - スポニチアネックス(2013年9月17日 8時21分配信、2015年5月12日閲覧)
- ↑ “谷繁選手兼任監督就任会見”. 中日ドラゴンズ公式サイト. 中日ドラゴンズ (2013年10月10日). 2013年10月11日確認。
- ↑ “中日監督に谷繁捕手、来季就任へ 落合氏もGM受諾”. 中日スポーツ. (2013年10月9日) 2013年10月9日閲覧。
- ↑ a b c “黒い疑惑”で中日に戻れない立浪がWBCの打撃コーチに就任へ - (内外タイムス 2012年10月03日 15時30分)
- ↑ 『負けん気』文芸社、2010年、237頁
- ↑ 落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(3)立浪派と山崎派が対立している - ライブドアニュース(2012年2月2日 10時59分 アサ芸プラス)ちなみに、ここでいう「山崎」は山崎武司を指す。
- ↑ 男を追いかけ山形へ 美熟女・梅宮アンナの破局を決定付けた致命的な“性癖” (芸能ネタ 週刊実話 - 2014年3月21日14時01分)
- ↑ 梅宮アンナ「あんな恋愛、こんな恋愛について」暴露本執筆も、完全に遅すぎる? - BIGLOBE(2015年6月20日(土)12時0分)
- ↑ a b プロ野球・元中日の立浪和義氏、現場復帰焦り“裏工作”バレて落合GM大激怒! - サイゾー#WEBサイト(2014年11月11日 火)
- ↑ “最右翼”立浪氏就任を阻む事情 楽天監督「デーブ続投」情報(1/2) - 日刊ゲンダイ(2015年9月21日)
- ↑ (2/2)
- ↑ 楽天新監督に立浪氏急浮上!星野副会長と師弟タッグで再建だ (1/4ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ) - 2015.9.10 05:06(1/4)
- ↑ (2/4)
- ↑ (3/4)
- ↑ (4/4)
- ↑ 「個々の能力を引き出しながら、ひとつの目標に向かう」梨田昌孝監督 就任会見 | 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト - 2015年10月8日閲覧
- ↑ 楽天新監督、梨田氏に一本化!29日取締役会後に就任要請へ - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ) - 2015.9.29 05:02
- ↑ 中日スポーツ2015年11月30日「若手OBが竜後押し 中日OB総会&OB会 立浪さん会計に就任 結束呼び掛け」