秋田夫人
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秋田夫人(あきたふじん、天正14年(1586年)- 慶安4年(1651年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。野中兼山の生母[1]。
略歴[編集]
山内一豊の妹・合姫の長男である野中良明の後妻。名は萬という。早くに両親を失って、親類の秋田家で育てられたことから、秋田夫人といわれる[1]。
慶長14年(1609年)、土佐藩の国老を辞職した良明の後妻となり、元和元年(1615年)に嫡子の兼山を出産した。しかし夫はその3年後に病死し、秋田夫人が兼山を養育したという。のちに兼山は山内忠義に登用されて土佐藩の藩政改革に当たり、夫人はそれを見守りながら慶安4年(1651年)に66歳で没した[1]。
死後、兼山はその葬儀を朱子学の教えに基づいて盛大に挙行し、かえって江戸幕府から睨まれたという[1]。