社会主義協会 (1900年)
社会主義協会(しゃかいしゅぎきょうかい)は、1900年(明治33年)に結成された社会主義の研究・実践団体。日本初の社会主義者の組織であるとされる[1]。
概要[編集]
1898年(明治31年)10月に「社会主義の原理と之を日本に応用するの可否を考究」することを目的に結成された社会主義研究会が前身。1900年(明治33年)1月28日に実践活動を重視して社会主義協会へと改組され、社会主義の信奉者のみで構成される組織となった[2]。「社会主義の原理を討究し之を我邦に応用する可否を考査」することを目的とした[3]。会長は安部磯雄、幹事は河上清(のち片山潜・西川光二郎)[4]、会員は片山潜・幸徳秋水・堺利彦・中村太八郎・木下尚江・西川光二郎・田添鉄二ら。事務所は芝のユニテリアン教会・惟一館から神田三崎町のキングスレー館へと移された[5]。
当初は普通選挙の実施や工場法の制定などを主張し[3]、労働組合期成会や普通選挙期成同盟会と交流を持った[6]。1901年(明治34年)3月2日に日本初の社会主義学術大演説会を開催[4]。同年5月18日に中心メンバーである片山潜・安部磯雄・幸徳秋水・西川光二郎・木下尚江・河上清の6人が日本初の社会主義政党として社会民主党を結成し、19日に届け出たが、20日に結社禁止を命じられた。6月に社会平民党に改名して届け出たが、これも禁止されたため、結党を一旦あきらめて啓蒙宣伝活動を継続することになった。同年10月の第2回社会主義学術大演説会を皮切りに、演説会、茶話会、伝道旅行などを行い[2]、1903年(明治36年)10月に平民社が結成されるまで社会主義運動の中心的役割を担った[7]。平民社結成後は協力関係を持ち[6]、1904年(明治37年)1月に本部を平民社に移したが、平民新聞が日露戦争に際し非戦論を主張したことなどから11月16日に結社禁止を命ぜられた[3]。
1903年(明治36年)3月3日から翌1904年(明治37年)まで機関誌『社会主義』(旧『労働世界』)を発行した。
出典[編集]
- ↑ 世界大百科事典 第2版の解説 コトバンク
- ↑ a b 日本社会主義運動史 労働の解放をめざす労働者党
- ↑ a b c 石毛忠、今泉淑夫、笠井昌昭、原島正、三橋健代表編者『日本思想史辞典』山川出版社、2009年、439頁
- ↑ a b 成田龍一「社会主義協会」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
- ↑ 安部磯雄らの社会主義協会(社会民主党の前身)から120年、明治33年2月25日! 友愛労働歴史館(2020年2月25日)
- ↑ a b 社会主義協会[社]1900.1.28 『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 コトバンク