工場法

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工場法(こうじょうほう)とは、明治44年(1911年3月29日に成立した日本法律である。大正5年(1916年)に施行された。全25ヶ条からなる。

概要[編集]

明治時代における近代化で急激に資本主義経済が発達した結果、産業革命期の過酷な労働者への労働条件が問題になりだした[1]。当時の労働条件は雇用者側の都合で決められるという滅茶苦茶なものであり、一方的に解雇されても珍しくもなく文句を言うこともできなかった[1]。このため、明治時代末期に労働者の保護を目的に工場法が制定された。職工15人以上使用の工場を対象に女子、年少者(保護職工)の就業制限、労働時間制限、深夜の業務の禁止、労災扶助制度などを規定した。

しかし制定当初は保護職工の深夜の業務禁止が工場法施行から15年間も猶予されるなど、様々な例外規定が設けられていた。またこの工場法は極めて不徹底なものであり、「1日の労働時間は12時間まで」「休日1ヶ月に2回」「労働時間が10時間を超えたら1時間の休憩を与えること」といった、現代の常識から大きくかけ離れたものが多かった[1]

大正5年(1916年9月1日に工場法が施行されているが、児童や女性の過酷な長時間労働を防ぐとは名ばかりで、少年少女や女性の労働時間の制限や深夜労働の禁止の内容は、当時の世界基準を大きく下回る酷いものであった。これは当時の日本政府が労働者の保護より、人的資源である労働力の確保に眼目を置いていたためである。

このため、大正15年(1926年)に工場法の改正法が施行され、保護の範囲と内容が拡大され、保護職工の深夜の業務の猶予期間が3年に短縮された。

戦後昭和22年(1947年)に新しく、労働基準法が制定されたことにより、工場法は廃止された。

余談[編集]

イギリスにも同名の法律が存在する。労働者の不健康が課題になり、1833年に制定された。当初は~9歳の児童の労働を禁止するものだったが、その後次々と保護の範囲と内容が拡大された。

脚注[編集]

  1. a b c 『知っておきたい! 働く時のルールと権利』籏智優子著。2010年4月。P57

参考文献[編集]