石野氏満
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石野 氏満(いしの うじみつ、天文22年(1553年) - 慶長11年(1606年))は、戦国時代の武将。播磨赤松氏の一族。妻は有馬則頼の娘[1]。
生涯[編集]
通称は小太郎。姓は赤松ともいう。法名は宗英。受領名は和泉守。越後守。父は石野氏貞で長男という。ただし赤松氏との血縁関係については不明な点も多い[1]。
別所長治に仕え、天正6年(1578年)に長治が織田信長に背いて反乱を起こし、播磨三木城に立て籠もった際、これに同調して信長方の中国遠征軍である羽柴秀吉軍と戦う。この三木城の戦いで敵将の古田吉左衛門を射殺した[1]。
三木城が落城すると秀吉に仕え、後に前田利家に転仕する。小田原征伐では前田利家に従って武蔵八王子城攻めに戦功を立てる。慶長11年(1606年)に加賀で死去[1]。享年54。